2006年1月 Archives

甘く危ないチョコ大使

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フェアトレードのチョコレート

もともと甘いモノは嫌いじゃないけど(むしろ好き)、ドイツから帰ってきてからめっきり食べなくなったチョコレート。


ドイツでは、チョコレートが安い上に、寒くてカラカラの気候にピッタリ合うものだから、美味しくて美味しくて、そこへホームシックも手伝って、延々と食べ続けた結果、、、ズボンのおしりが破れたりとタイヘンなことに。涙。



日本へ帰ってきてからは、冬もドイツほど気温が低くなかったり、湿度が高かったり、あと、ドイツの甘ーいチョコに慣れきった舌は、日本のチョコはイマイチ美味しくなくて、あんまり食べなくなっていたのに、、、最近タイヘン危険なチョコに出逢ってしまいました。いえ、以前から知ってはいたのですが、、、予想以上に危険。


フェアトレードのお店の企画 に乗っかって、仕事先のお店Webショップ でも、冬季限定で販売を始めました。つまり、欲しいときにはすぐそばにある、ということ。ちょっと疲れたなあと思ったが最後、あの、甘くて幸せなひとときが舌の上で繰り広げられる誘惑を断ち切ることができず、、、。


他の方に、フェアトレードのチョコを広める「チョコ大使」のはずが、一番大口のお客が私自身です。トホホ。企画が終わる頃には、服のサイズもワンサイズ以上変わってるかも、、、。

ここちよい香り

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大好きな香り

久々に香水を買いました。



食品関係に転職してから、あんまり使わなくなったので、減りが遅くなってしまった香水ビン。香水といっても、パルファンではなく、オーデトワレなので、気軽に使えるし、持続時間もそんなに長くないけど、やっぱり万が一販売する商品に香りが移るとイヤなので、と控えています。



でも、そうすると減らない分、酸化して、変質しちゃって、アルコール臭ばかりが目立つようになった、私の香水ビン。



それで、あんまり使わないのは承知の上で、いつもの香りを小さいビンで買いました。




ちがうのにしようかと思ったけど、やっぱりいつもの同じ香水。

キャロライナ・ヘレラの212。



いつの頃から使っているのかは忘れたけれど、トップからラストノートまで、なんだか落ち着く心地よい香り。私がつけると、いつの間にかお香を焚いていたところから出てきたような香りになります。辛気くさい?(笑)




昔はいつも、姿は見ていないのに、私がもう来たか来てないか、ニオイで分かる、とも言われてました。学校とかバイト先とか。そんなに臭いくらいつけてたわけじゃないけど。




香水の楽しいのは、時間によって香りが変わっていくこと。

そして、どんどん「私だけの香り」になっていくこと。



といっても、そんな頃には、鼻がバカになっていて、自分の香りはほとんど分からなくなっちゃってるんですけどね。

10年前の私から

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13年前の私から。

高校のときの家庭科の時間に、「10年後の私」へ、手紙を書くという課題がありました。


といっても、届いたのはもう3年も前。
nobkさんのブログを読んで、そういえば!と思いだした次第。




読んだ当時、27歳。
休学して始めた仕事を1年続けて、退学届を出した後、くらいかな?



手紙を書いたことも内容も、なんとなくまだ覚えていたので、届いたことにそうビックリはしなかったけれど、17の頃の私が大切にしていて、27の私に期待していたことは、そんなに叶ってなかった。



それは、17の私が見た27の私、っていうのはものすごくオトナだったのだけど、27の私って、全然オトナなんかじゃなかった、ってことで。今もオトナとは言えないんだけど、3年前は今以上にグルグルと迷ったり不安になったりしてたわけで。




「好きなこと、やってる?」
「ステキな大人になっててください。」



今でもやっぱりドキッとする言葉。
だけど、好きなこと、は、今は、やってるよ。
それは時に、好き勝手、と言われたりもするけど。



17のときの私が聞いたら、なんて言うか分からないけど、17のときの私も、今、30の私も、幹の部分はちっとも変わってないんじゃないかな。枝葉の部分で、とんがったところや、逆に丸くなったところはあるにしろ。


そして、37の私はどうなっているのかなあ。
その頃には、高校1年生の時の夏休みの課題だった、自叙伝が返ってきます。それも、まだうっすらと書いた内容を覚えているけど、7年後だし、その頃にはどうかなあ。


でもきっと、今の延長上に自分がいるわけで、仕事が変わったり、住んでる場所が違ったり、そんな外的な環境は変わっているかもしれないけれど、内的にはやっぱりそんなに変わってないんだろうと思います。

冬の恵み

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たいがいトンがっている最近の私。

ひどいというか生意気なこと書いてるのは承知で、そんな時期もあるから仕方ないのです。

能登の生牡蠣

そして、もらうのが嫌いと書いた途端にもらいもの。

といっても私がもらったわけじゃありませんが、もらった方が処理しきれないというのでオハチが回って来たわけで。、、、それにしても、すごーい!!!


能登の方々、それも港近くに住んでる方々にしてみれば、何がビックリなのやら?かもしれませんが、おせんべいやかきもちなんかが入ってるのはみたことがあるカネの缶にいっぱいの牡蠣。ひとつひとつは大きくないけど、とにかくいっぱい。


いくら食欲オバケがいるといっても、こんなに食べられるわけもなく、その場にいた3人で山分けして持ち帰るにも多すぎで、そのうちの1人は、家族(奥さん)から、家庭内持込禁止令が出てしまったので、仕方なく(!)近くのお寿司やさんに持ち込みすることに。


でも、七尾では1斗缶に入ってるのが普通なんだそうで、これくらいは、好きな人なら1人で食べられるくらいの量なんだそうな。ひょえー。



思いがけない美味しい食事に、酒が進んで、今日は帰ったら明日のドイツ語レッスンの予習をして、次回レッスンの準備をする予定だったのに、あてが外れてしまいました。



私は今年も食いっぱぐれないようです。なんたる幸せ。

私のところへやってくるモノたち。

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プレゼントが嫌い。


なーんて言い切ってしまうと、なんとまあイヤな奴、なんだけど、もらって嬉しいときもあるわけで、どうしてなのかなあとちょっと考えてみました。



基本的に、満たされているんだなあ。私は。



食べるものも、着るものの、親元に寄生しているとはいえ住むところも、持ちものだって、満たされているんです。生活環境が変われば、また話は変わるかもだけど。


そして、たまに欲しいなあとか思うものがあったとして、それは私の中で、色はこれで、形はこうで、素材はこうで、と明確なイメージがあることがほとんど。よく似た何かが現れても、私のイメージと合わないときは、よっぽどの緊急事態じゃない限り、買わないことに決めています。今までさんざん失敗してきたので。



だから、もしそれが、なかなか手に入らないものだったり、ものすごく高価なものだったりするときは、「今」の私とは縁がなかったんだなあ、と思うし、想い続けたらまた縁がめぐってくるかも、と、その時を楽しみに待つことにしたのです。



その逆に、いつか私の元にきてほしいなあと思っていたものが、違う形で、要は、私が持っていたイメージとは違うタイプのもの、が、来てしまったときは、たとえいただいたものだったりしても、正直ガッカリします。出逢いたかったものと出逢うための瞬間を奪われてしまったような感覚。



かわいい長靴。

それでも、妥協できるときはあるのです。ま、これもいいかと。ただ、本当に欲しかったもののイメージと憧れは消えないので、いつか巡り逢ったときに手に入れてしまう危険性があります。そうすると、2つになってしまう。それって、なるべくモチモノを減らしたい私としては、悲しい。



だけどたまに、妥協できないときがあって、そんなときは本当に困ってしまいます。周りに誰か、欲しい人がいればいいけど、そう簡単に見つからないときもあるわけで。まあ、そういったものは、誰かに渡されるときがくるまで、もしくは、私の気が変わって「使ってみるかー」と思うときがくるまで、どこかで眠り続けます。



だからといって、衝動買いをしないわけではないのだけどねー。
それは一目惚れしたときか、物欲オバケがとりついているときです。


つい最近も、長靴に一目惚れして衝動買い。でも、欲しかった長靴のイメージにピッタリで! 色までピッタリ!!! ものすごくカワイイ!!!  素材は、、、敢えてノーコメント。(ゴムではありません。)

あ、だけど、例外ひとつ。

たべものだけは、もらってもほとんど困ったことはありません。うちには食欲オバケもいるのです。

年に2回は

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大学時代の所属サークルの集まりが、少なくとも年2回、必ず開催されています。



夏の陣と冬の陣。

いつもちゃんと企画してくれて、呼んでくれる現役生に感謝!



ワタシは地元だから、夜の時間さえ確保すれば出席できるけど、他の先輩も後輩も、現役生以外はほとんど県外なので、時間を作って来れる人もいれば、来られない人もいるわけで。今年は誰が来るのかなあと、半分ドキドキ、半分ワクワクで向かいます。


今年も、たくさん集まって、近況報告してるうちに、ちょっと昔のことも懐かしく思い出してみたり、まだまだ現役生だと思ってた子たちが、もう社会人になってて、ちょっとたくましく(?)なってたりするのを見たり、若さ爆発の現役生のイキオイを目の当たりにしたり、楽しーい会でした。


問題は、明日の仕事です。

さて、起きられるのだろうか、、、!?

Recht auf Leben

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死刑制度についてのテキスト

久々の、ドイツ語レッスンでした。習う方で。先週は、仕事が片づかず、泣く泣く欠席。それにしても、ドイツ語からかなり遠ざかっていた事を痛感。ちょっとまたマジメに訓練(?)開始です。時間ほしー!!!


ディスカッションが目的だったのだけど、テーマが重くて、日本語でもまだまだうまく言えないことが判明。しかも、(私の)知識も浅くて、言葉にならない。完全に準備不足。



テーマは「死刑制度」です。



日本は死刑があるけれど、ヨーロッパのEU加盟国は、死刑制度を廃止しています。この、死刑制度に、PRO oder KONTRA。ちょうど、宮崎氏の最高裁判決が出た矢先でもあったし、そのことも含めてのレッスン。はい。かなりハードでした。



まあ、私がどうか、っていうと、もちろん(?)死刑制度は撤廃すればいいと思ってるし、今までも思ってたのですが、今までは、ただ漠然とダメだと思っていました。だけど、今回、このテーマを与えられて考えてみると、そもそもなぜ死刑制度があるのか、その辺りから知らなかったわけで。それで、ちょうど1つのバイト先の雇い主が法律関係なので、お伺いを立ててみたり。


そこで私が初めて知った話というのは、(あまりに簡単にし過ぎて語弊があるかもしれませんが)、日本の現刑法では、有期懲役、無期懲役、死刑、などの刑があって、刑務所に入るというのは、更正の見込み、社会復帰の可能性があるとみなされる、ということ。無期懲役であっても、一生全く外に出る可能性がないわけではない。逆に、死刑というのは、更正の見込みがない、社会復帰の可能性が期待できないと判断されたときに、下される判決だということ。


こう聞いたからと言って、死刑制度があるのも仕方ないかと思ったわけでは決してなく、やっぱりヒトがヒトの生死を裁けるものではない、裁いていいハズがないと思っているので、死刑制度に反対なのは変わりなく。人間の生命にかかわることは、無宗教の私ではあるけど「神の領域」だと思ってるわけで。だから、いくら病気の解明に云々、治療に云々と言われたところで、遺伝子の分野で人間が生命をどうこうすることには反対だし、死刑制度も反対。昔、遺伝子の分野には、ものすごく興味を持っていた私ではあるけれど。


ヒトがヒトを裁くというのは、自分も裁かれる可能性があるし、自分が他人を裁く可能性もあるわけで。「いのち」に重いも軽いもないはずなのに、死を与える判断をするということは、自分でないひとの命のことを軽く見ているのだろうか。(そういう意味も含め、裁判員制度は、かなり恐ろしい、とようやく気づく。)



話はちょっとズレますが、このレッスンに行く道すがら、クルマのラジオのニュースでは、アメリカの安楽死の一件が報道されていました。この件で、ブッシュ大統領(もしくは政権?)は、「生命を尊重する文化の確立を目指している」とかなんとか言って、安楽死に反対してるらしいけど、アフガンやイラクでごく一般の市民の命を奪い続け、同じ国民であるアメリカ人の兵隊たちの命が奪われていることに対して「生命の尊重」は考えないのでしょうか。それとも命の重さが違うとでも言うのか。



死刑制度、PRO oder KONTRA、それぞれへの反論を、文章にして提出するのが宿題ですが(絶対ではないけど)、日本語ですらまとまってないので、さて来週までに間に合うかどうか微妙です。

「夢」と言われても、、、

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芝居の余韻(?)が尾を引いてますが、、、。


芝居の後の食事の席で、一緒に行った方が、「仕事もこなしているし、それは自分でそこそこえらいなあとは思うけど、夢がないなあ、、、。」と、ぽつんと。


「夢」をもつことが、そんなに重要なのかなあと、ひねくれ者のワタシ。実は、芝居中も「夢」という言葉を連発されて、なんだかむずがゆいと感じてたわけで。


「夢がない」と言い切ってしまうと、なんだか寂しい感じもするのだけど、だからといって未来に期待する気持ちがないわけではなく、やってみたいことがあったり、こんな生活や環境に身を置いてみたいと思い描いたりもする。だけどそれは、あくまでも、今の生活や、今の自分の延長であって、「夢」ではないような。


戦争のない世界を、とか、搾取のない世界を、とか、そういった大それたことを思ったりもするけれど、こっちは別の意味で「夢」じゃないわけで。


その後、なんでこんなに「夢」という言葉に拒否反応が出るのかなあと考えていたら、思い当たることがないわけでもないことに気がつきました。


その昔、そう、もう10年ほど前になるかなあ、一時期、夢のような話ばっかりする集まりに、よく出かけていました。もちろん、夢のようなことを現実にしていくために、想いを強くすることは、ある意味大切なのだろうと思うし、それを決して否定はしないけれど、思いこみの激しい私は、熱に浮かされたような感覚になっていたのです。地に足がついてない、というか。


その状態が、私にとってはあんまりよくない状態なんだ、と分かったのは、色々失敗を重ねてから。今でもときどき失敗しそうになるけど、なるべく「今」「ここ」という状態を見失わず、地に足をつけて、前を見ようと考えるようになったのは、ほんの2、3年のこと。それと同時に、夢のような「夢」のことを考えるのが嫌になってしまった。のかな。


まあ、もともとクライ子だったし、今もクライんですが(笑)、「夢」という言葉が嫌いだからといって、絶望しているわけでもなく。


最近は、分相応のことができている、ということが、一番嬉しかったり、幸せだなあと感じたりしているし、わざわざ「夢」なんて言わなくてもいいよなー、と、やっぱりそっちに落ち着くわけでした。

始まりは蕎麦屋。

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お芝居は、金沢市民劇場 という観劇グループに入っているのですが、1人ではメンバーになれず、3人以上でサークルを作って登録しなければなりません。といっても、サークルメンバー全員が一緒に観劇に行かねばならないわけではなく、3日の日程の中から、それぞれ個人で選べます。


私の場合、一緒のサークルメンバーの方と、なるべく日程を合わせて行くのですが、何が楽しいって、お芝居の話をできるのも楽しいですが、その後の一杯も楽しみなのです。しかも、今回は今年初の観劇、ということで、プチ・新年会だし。笑。


今回は、「呑める蕎麦屋」が狙い。で、片町の「更科藤井 」へと。お芝居が終わった後は、いつも夜10時頃になってしまうので、それからでも、食べて呑めるお店は限られてくるのですが、このお店は深夜営業のようで、バッチリでした。シネモンド さんの紹介ページもいいですねえ。→コチラ


蕎麦屋らしいつまみしかない(<同行者・談)のに、一つ一つ凝っていて丁寧で、お酒が進む進む。実はあんまりおそばが得意じゃない私ですが、後半は、蕎麦をツマミに呑み始め、最後には、たぬきそばまで喰らう始末。あったかいおそばは絶対食べられない、苦手!と思っていたのに、スルスル入っていき、完全に食べ過ぎ。ああ、そういえば、天ぷらの盛り合わせを頼んで、出てきた粗塩までつまみにして呑んでました。お皿を下げられそうになって、「まだその塩が、、、」「ゆずこしょうが、、、」と、ちっともスマートじゃなく、食い意地根性丸出しで呑みました。でも、しっかり食べたので、かなり呑んだにもかかわらず、翌日ちっとも残ってなかったのがスバラシイ。(ただし、仕事だというのに目覚ましを止めたらしく、母に起こされましたが。)



うちではちっとも呑まない私ですが、外に出て、美味しいものを食べていると呑みたくなるから不思議。というより、お酒は結構好きなくせに、うちで呑まないのがフシギ?なのかなあ。母が料理好きなので、うちのご飯はとっても美味しいのですが、「ごはん」だから呑もうと思わないのかも。独り暮らしでも始めたら、飲み始めていそうで怖いです。

「夢があるから!」

今年初のお芝居は、ミュージカルでした。


アメリカ生まれの日系2世の女の子が、14のときに父にプレゼントされたブロードウェイのチケットで、初めて観たミュージカル「パリの踊り子」がきっかけとなり、振付師になることを夢見、成功と挫折を味わいながらも生きていく、というお話。劇団スイセイ・ミュージカル 、という、割と若手で構成されている劇団で、この「夢があるから!」は、オリジナルのようです。


、、、なんですが、私にとっては、ストーリーはどっちかというとオマケ。歌あり、踊りありのミュージカルを観たのは、実はこれが初めてで、ナマのダイナミックさとエネルギッシュさに感動! ひとつ難を言うなら、外国人役の人たちが、外国人に見えないということでしょうか。どう贔屓目に見ても、日本人。笑。でも、それでも歌と踊りは楽しくて、バッチリ魅せてくれました。


なので、後半2幕目に、妙にストーリーめいてきたのがちょっと残念。「中川久美」さんという振付師の実話を元にしているようですが、やっぱりストーリーはオマケに徹して、踊りと歌で最後までつっぱしってもらえたら、もっと最高!になったような気がします。そんな意味では、去年観た、素劇「あゝ東京行進曲」(劇団1980 )は歌が中心に据えられた、本当に楽しいお芝居でした。


そして、観ながら思い出していたのが、槇村さとるの「ダンシング・ゼネレーション 」と「N★Yバード 」。これもブロードウェイが舞台だったような。


そういえば、宝塚も観たことないけど、劇団四季もまだ観たことがないのです。次に東京行くときは、ミュージカル狙いで行ってみるのもいいかなあなんて、考えたりもしています。

明日は市民劇場!

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ものすごい量の仕事をしたカンジ。外で仕事して、帰ってからも半徹夜で仕事して、こんなにイロイロできるのは、心身ともに絶好調のときのみ。


ヒサビサです。


はー、おなかすいた!



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いつもいつも何でも思ったことをできるわけではなく、やれるはずのことができないとき、っていう時期は必ずやってくるので、できるときに、できるだけやっておかないと、と、思います。


昨日、今日、は、そんな意味で、絶好調でした。



しかも、そんなときにやるべきことが重なると、こなしていくのが楽しかったり、疲れてるのに、眠いのに、全然平気だったり。





とはいっても、半徹夜が続いたので、今日はさすがに限界。



明日は、今年初のお芝居の日!

お芝居も楽しみですが、その後の一杯も楽しみです。プチ・新年会です。

ウイルスに負けてるヒマはなし

ホントはブログなんか(!)読んだり書いたりしてるヒマはないはずですが、、、ちょっと息抜き。


年が明けてオシゴトが始まって1週間。相変わらずやることいっぱいで、あの1週間のお休みが夢だったかのように遠くに感じてしまうのはなぜでしょう。でも、部屋がまだ片づいたままの状態なので、休みをとっていたことは夢ではない模様。よかった。


ただ、休みに持ち帰ったくせに、なかなか手をつけなかった仕事の締め切りが明日。今週中に耳揃えて出します!といった手前、片づけなくてはいけません。明日の昼間は違うところでオシゴトなので、実質今晩しかもう時間がない! 昨日は半徹夜。今日は貫徹カモ、、、!?と思ったりしますが、体がついていくはずもなく。だましだまし、半徹くらいでがんばります。


それにしても、周りに風邪ひきさんが結構いるというのに、この秋から冬にかけて、風邪らしい風邪をひいてないのはありがたい。忙しすぎて、風邪菌が入り込むヒマもないといった感じです。このまま春まで突っ走ることができたらいいなあ。初夏には花粉に悩まされて、熱を出すのは必至だから。

土とともに。

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他人(ひと)のブログのコメント欄で、勝手に暴走しそうになって反省。だけど、「土」ってほんとーうに大事だと思うから。


行き詰まりつつも、まだ大学内でウロウロしてた頃、プライベートでもハードなことが重なり、なんだかギスギスしたりズタズタになったような気がしてました。学校にも行けなくなって(しかしバイトは行く。<笑)、プチひきこもりだった私は、プランターでハーブを育てて食べてみたり、生ゴミ堆肥化作戦に手を出したり。(どっちも食べ物に絡んでる、ってところがミソです。花は育てられないワタクシ。)


といっても、うまく発酵させることができなくて、悪臭を漂わせたり、でもそのうち、いい土ができた!と喜んでプランターに移し、ハーブを育ててみたら、部屋中にハエが大発生したりと、ツメが甘い、、、。


なんだけど、土の生命力、還元力には本当に驚かされました。発酵が進まなくて、ものすごいニオイになったこともあったけど、それもいつしか分解されて、どう見ても土にしか見えなくなった時には、本当にすごいなあと。そして、なんだか元気というかパワーをもらったり、ココロのバランスを取り戻していったように思います。不思議なんだけど。


と、同時に、土に帰していくべきものを焼却ゴミとし、土に帰さないどころか一方的に二酸化炭素を発生させてしまう、わたしたちの一方通行の生活スタイルや、100年後、200年後の土がどうなっているかも考えずに、目先の利益のために投入される夥しい量と種類の化学肥料や農薬のことを考えて、恐ろしくなったり悲しくなったり情けなくなったり。私たちが生きている間に劇的な変化は目に見えては起こらないのかもしれないけど、こんな状態を永遠に続けていられるわけではなく、実はもう、取り返しのつかないところまで来ているという報告もあるのです。


人間は愚かだし、エゴの固まりでもあるのだけど、だからといってそれに甘んじているわけにもいかない。土とともに、他の様々な生命と一緒に、地球という生命と一緒に、その大きな循環系の中に位置しようとしなければ、「ヒト」という種は存続し得ないのではないかと思う。


逆に、ヒトなんて、そのうち自然や地球からしっぺ返しを受けて、あっという間に絶滅するのでは?、いや、すでに絶滅への道をたどっているのでは?と思ったりもする。それはそれでいいような気もする。



ただ、現在、この地球上にヒトとして生きているわけで、ならば少しでも負担をかけないように、地球の大きな環のなかに私も入れてもらえるようにと思うのだけど、現時点では、なかなか達成できていないのが実状。



「農」に関係する職業柄、以前ほどの大きな分断はないし、一歩くらい近づいた気はするけれど。

読書モード。

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あきっぽいので、宣言するとダメな感じですが、ふと気がつくと読書モードに入っています。年末年始にちょっと時間があった、というのも理由かな。


買った本の半分以上はまだ読んでいない私なので(大汗)、読むものには困らないハズなのですが、買う時期と読む時期は一致してないので、本棚の肥やし状態になる期間は、半年であったり、5年であったり、それ以上であったり。


でも、本だけは、買わなきゃ!と思った時に買っておかないと、見つからなかったり絶版になったりしていることも多いので、貧乏人のくせに、身分不相応なほど持ってる本は多い方だと思います。図書館をもっと利用したいとも思うけれど、図書館に通うというオプションが組み込まれていない私の生活。図書館は通勤途中にあったり、家の近く(クルマで10分)にあったりするのですが、なかなか開館時間中に立ち寄れないのがもどかしい。いつかきっと、、、!とは思っているけど、いつになるやら。


さて、何を読んでいたのかというと、森達也さんと姜尚中さんの対談本、『戦争の世紀を超えて 』。まだ読み終えてないのですが、ものすごい本です。すごすぎて、感想をうまく書けない気がするけど、これは何かは書き留めねばと思う。とりあえずは、最後まで読み終えてから、ですが。


友人にもらった、浦沢直樹さんの『MONSTER 』も、怖いくせに読みました。このマンガはフィクションだけど、何か現代の現実世界とかぶるところがあって、背筋が冷たくなる内容です。怪物や国家マシーンのような人間を作ろうとするプロジェクトも怖いですが、やはり、わたしたちのようなごくごく一般の市民が、あるきっかけで殺し合いを始めてしまう危うさを抱えている、という現実が怖い。でも、怖い怖いと言っているだけではダメで、そんな危うさや弱さ、ヤバさが私の中にも他の人にもあるのだと認め、どう考え、どう行動していくか、なのだなあと。


とまあ、おカタい(?)本ばっかり読んでいるわけでもなく、久々にショージ君 を引っ張り出してきて、あれが食べたいこれが食べたいと、思いめぐらせていたりもします。笑。

どんな年になるのかな。

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新年です。

今年の目標とか抱負とか、そんなこっぱずかしくて気負うようなことを、新年早々掲げたりできない性格なので、タラタラとなんとなく新年になだれ込むのが心地いいとか書いてますが、年明けらしいことを何もしないのかというと、そういうわけでもなく、うちの近所の神社へ初詣に行って、おみくじを2種類ひく、というのは、15~6年続いています。


書いてある内容は、結構すぐに忘れちゃうんだけど、1年間おサイフに入れて持ち歩くワタクシ。


今年ひいた2つのおみくじは、なんだかどっちも同じようなことが書いてあってビックリ。しかも、今の状況をほぼ言い当てられているようでドッキリ。こんなこともあるんだなあと、妙に感心。笑。





運命は、人生は、自分の手で切り開いてるような錯覚を起こすけど、本当は、決められた道を一歩一歩忠実に歩まされているんだろうと思う。苦しいことも、悲しいことも、つらいことも、すべては必然。私という人間に背負わされた「業」とでもいうのかなあ、歩んで行かねばならない道。こんな風に自虐的に考えてしまうのも、ある種の業かもしれない。でも、それが嫌なのではなくて、こんな自分と真っ正面から向かい合って、自分に忠実に生きていたい。



「自分に忠実に」なんて、ホントはエゴのかたまり、ってだけなんだけど、今の私には必要みたい。等身大の、ありのままの自分を見据えるために。

ラジオが好き。

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まだまだ雪

もしかして、ただ単になじみ深いというだけなのかもしれないけど、ラジオが好き。


といっても、定期的に聞くわけではなく、集中するときには無音状態じゃないとダメなので、ラジオをつけるのは掃除や洗濯をしてるときくらいなのだけど、じゃあ普段いつ聞いているのかというと、クルマで移動中の時。通勤時間が長いので、かなりの時間を費やせます。


昔は、音楽ばっかりかけていた気がするし、飽きればたまにFMを聞いていた気がするけど、最近はAMラジオの、しかもNHKにどっぷりはまっています。それも、第一のみならず第二もかなり。


第二放送は、中学生の頃に基礎英語を聞いていたのがきっかけで聞き始め、語学講座は言葉が分からなくてもかなり好き。ロシア語とかアラビア語とかも。でも、残念ながらめったに遭遇しません。笑。外国語ニュースも結構やってます。ハングルとかスペイン語とか。英語ニュースは、内容が日本のニュースだから、知識ゼロで聞くよりは分かりやすくて勉強になります。ただ、日本人がしゃべってるので、やっぱりネイティブの発音じゃないんだよなあと耳につくのが玉に瑕。(英語ができるわけではないし、しゃべれないけど、ちょっと発音オタクのワタシ。笑。)ドイツ語ニュースはネットでは聞けるけど(ラジオ日本オンライン )、実際にラジオでは流れてないので残念ー!


高校生の時には聞いてもよく分からなかった「NHK高校講座」も、今聞いてるとオモシロイ。秋山仁の数学とかね。現代文も、高校の時はさっぱりわからなかったのに、今になってそのおもしろさがわかります。やっと脳が発達したんだ(苦笑)。そのほかにも「NHKライブラリー」とか「NHKカルチャーアワー」とか、耳学問、ってほどでもないけど、ちょっとためになるような興味深い話が聞けたりするし、「えっ!?こんな方のお話がナマの声で聞けるの!?」と、びっくりするような方が話していたりもする。今でも覚えているのは、大江健三郎さんと高校生のやりとり。その後、大江さんの本、読んだなあ。『「自分の木」の下で』。そうそう、農業や有機のこと考えてたときに、ちょうど小泉武夫さんのお話が流れてきたときは(それまでは、名前も知らなかったのだけど)、内容があまりにも、そのときの私がまさに知りたかったことだったりしたのでビックリした覚えもあります。


ほんの5分の「音の風景」は、不思議な音や、懐かしい音が流れて、想像力をゴンゴンかきたてられる。


午前中にある「お話でてこい」は、子供はもちろん、日本語を勉強してる外国人にもオススメだったり。




第一放送では、とにかくとにかく、日曜朝の「音楽の泉」が昔から大好きな番組。私が小学生の頃から、皆川達夫さんという方が担当なさってますが、それは今も変わらず。そのあとの日曜討論は、聞いてるうちに頭に来て消すことが多いけど(笑)、たまに姜先生なんかも出演するので、要チェック。あと、最近は時間が合わなくてほとんど聞けないけれど、平日午前11時半から15分くらいの「私の本棚」も大好き。これも、私が小さい頃からあります。昔、熱を出して学校を休んだりしたときに、ぼんやりしながら聞いていた覚えが。ここで聞いた本も、何冊か買って読んだなあ。


第一の方は、聞いてられない番組もあったりするのですが(演歌ショーとか、ハチマルちゃんとかねえ、、、)、最近は、リスナーの方々からのお便りを聞いていて、全国の農家事情が分かったりするのも、おもしろくなってきました。


そうそう、第一でも第二でも、忘れてならないのが「ラジオ名人寄席」! 席亭・玉置宏さんの司会もお見事です。私はこの番組を聞き始めて落語好きになりました。新しいのも悪くないけど、どっちかいうと古典落語が好き。あとは「みんなの歌」!あなどれませんぜ!


、、、って、私は、本当に30なのかなあ?と、自分でも不安になってきました。(苦笑)

Endlich endlich...!

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先日「一段落」とか書きましたが、決して全てが片づいていたわけでなく、ちょっと先が見えたかな、というところでそのままになっていた片づけ&掃除の続きを、今日になってやっと再開。やっと終点が見えてきた気もしますが、最終地点までたどり着けるのかは甚だギモン。たどり着けなかったとしても、それはそれでOKと、現時点で、、、いや、掃除を始めた時点ですでに思っていた辺りが、本当にやる気があるのかギモン。笑。


デッキチェア

今日は、片づけが進んだことで、久々に、もう、ほんっと久々ーーーにお目にかかったデッキチェアが嬉しくて、今日はここでオシマイと、片づけ打ち切り。


いつだったかなあ、多分、ドイツから帰ってきて間もない夏に、部屋の中で快適に本を読みたくて買ったのが、このデッキチェア。ドイツの人たちって、お洋服にはあんまりこだわらないようですが(というのは私の偏見?)、インテリアにはものすごく時間とお金をかけていた記憶があります。アンティークなのもキッチュなのも、モダンなのもパンクなのも、それぞれに一本筋が通っていて、とってもステキ。見習いたいと思っていても、長年染みついた母譲りのモノをため込むクセが抜けず、結局ごちゃごちゃオンパレードの私の部屋、、、。(と、母のせいにする。)


話を戻します。ドイツで目にした「お部屋で快適に」を目指して買ったデッキチェアですが、ここ2年ほどは、脱ぎ捨てた洋服置き場と化していて(これがまた、置きやすい高さと大きさなんですねえ。<笑)、快適に読書どころか、デッキチェアだったことすら半分忘れ去られている始末。


なので、救い出すことができて、めちゃめちゃゴキゲン。


さて、明日は最後のお休み。

持ち帰り仕事もしますが、読書タイムが楽しみで仕方がありません。

2006年!

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ゆく年は追わず

くる年は拒まず


というのは、去年のイッセー尾形のカウントダウン・ライブ(舞台)DVDのタイトル。紙とDMと埃でいっぱいだった机の上を片づけたら出てきました。


年末の最終仕事を終えてからのここ数日、友人と久々の長電話をしたり、お昼近くまでごろごろ眠ったり、本を読んだり、母の買い物につきあったり、甥っ子たちとさんざん遊んだりして、1年間の休日をまとめて楽しんでいるようです。でも、全然足りない! あと1ヶ月くらい休みたーい!


そして、大晦日当日になって(といっても、そもそも年内にスッキリさせる気なんて最初っからないのだけど)、約2年分の塵と埃と本の山を掃除し始め、今さっき一段落ついたところ。気がついたら年が明けてるではないですか。


数年前までは、新年に向けて、折り目正しくきっちりと!と自分に課していた気もするけど、そもそもナマケモノで小心者の私には、それがプレッシャー、というか、最初でこけて、なんだかケチがついたような気になることがあったので、今はタラタラと過ごして、やり残したこともいっぱいあって、新年はこう!と決めつけることも特にせず、ああ、また、新しい年がやってきたなあ、ひたすら「今」を生きていきたいなあとボンヤリ思っています。そして、こんな風に思っているこの瞬間が、とてつもなく心地よかったりして。


年賀状も、ここ数年来、前もって書いたことなどなく、今年もまた同様。笑。こんな感じにしよう!とかは、仕事が終わった頃から考え始めていて、明日(っていうか今日だ!)は起きたら工作の始まりです。机はそのために片づけたようなもの。毎年遅れて届く私の年賀状は、そろそろ皆さんに定着してきたのではないでしょうか。

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  • yuka in Seattle: 疲れがとれず、米酢を read more
  • kanakita: ホントはね、アウトド read more
  • トッキー: kanakita先生 read more
  • kanakita: トッキーちゃん、久し read more
  • トッキー: むむむ。 非常に興味 read more
  • kanakita: 山庵敦さん、すっかり read more
  • 山庵敦: レシピのご紹介ありが read more
  • kanakita: itaちゃん、コメン read more
  • ita: 久々のコメントです。 read more
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