June 2006 のブログ記事

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久々に外で飲んできました。

めずらしく、ビールもたくさん呑みました。

旨かったー!!!




アンサンブル金沢にも久々に。

もちろん呑む前です。

でも、モーツァルトが実はそんなに得意ではないことを、改めて実感、、、。(苦笑)




なぜかは分からないのですが、もしかしてあまりに完成されているからなのか、モーツァルトは私にとっては耳障りがいいだけで、ポロポロパラン♪と滑り抜けていくのです。ハッと気がつくと、演奏を聴きながら、全然別のことを考えているのです。なんでかなあ、、、(汗)




先週、父が母に向けて、最終的には私にも向けて言ったものすごい言葉がきっかけで、家族、両親、そして私、についてぐるぐる考え中のワタシ。



でも、ちょっと客観的、というか、一歩離れて自分のことを眺めると、家族やなんだと考えることのできる私自身はある意味幸せ、ある意味幼稚だなあと思います。


同級生の多くが結婚したり子供を産んだりで、自分と両親、より、自分とその家族のことで頭はいっぱい、それどころか、考えるヒマもなく日常の生活に追われているのが現実だというのに、ワタシは、というと、今の私がなぜ甲あるのか、みたいなことを延々と考え続けているわけです。親と私のこれまでの関係を振り返ったり、父と母の関係を検証したりすることで。



相変わらず自分探しばっかりの私です。

多分、一生こうなんだろうなあ。

せっけん生活とほぼ同時に始まった布ナプ生活も、今年の9月で丸5年。

長いような気もするし、まだ5年かあ、という気もします。



布ナプにするのと同時に、PMSのことを知ったりして、ココロのバランスを取ることも少しずつ分かってきて、それまで薬(といっても鎮痛剤程度)を飲んだりして、アタマにカラダを合わせようとしていたのは、カラダの方にずいぶん無理を強いてきたんだなあと反省。無理をするから、ココロはついていかなくて、異常なほどの情緒不安定に陥ったり、それが突然消えて、あの落ち込みはなんだったの?と自分で自分が分からなかったり。




だけど、その後は、身体の方にペースを合わせる、というか、身体の声を少しずつ聴けるようになったなあと思います。





カラダとココロは一心同体。



「病は気から」といいますが、逆もまた然り。



「健全な肉体に、健全な魂が、、、」なんて聞くと、さようなら~と逃げ出したい気分になりますが、でもまあ、きっと多分そんな感じでしょうか。




でも最近、特にここ最近、あんまり、、、いや、「全く」健全じゃないワタシのカラダ。



手っ取り早く言えば運動不足。(涙)

カラダのあちこちが、ギシギシとさび付いた機械のような音を立てているので、どうにかせねばと思うのですが、運動することを目的にして運動するのが嫌いなので、さてどうしたものやら、、、。

ムカデのワラジの1足で、7月から新クラスが始まるというので、教材を作りながらのお勉強中。でも、蓋を開けたら生徒ゼロかも。それはそれで別にいいのですが(作った教材は無駄にするつもりはないので、他のクラスでも使います。)、サッカーでは一部盛り上がってるのかもしれませんが、ドイツ熱は下火です。ドイツ語熱だって数年前からずっと下火。笑。マイナーでよござんす。






で、ワラジの別の1足でもお勉強進行中。



こっちはハードです。



『原発震災』



の文献探したり、読んだり、データ拾ったり、まとめたり、です。



といっても、まだ文献にもたどり着けてません。図書館にナーイ!!!




「原発震災」の概念は新しくないかもですが、言葉自体は割と新しい模様。




とっかかりで読んだのが、これ。

放射能で首都圏消滅 -誰も知らない震災対策





若干煽っている感じがしないでもない本ですが、志賀原発はもちろん、美浜原発や、止まっているとはいえ、もんじゅもごく近くに控えている石川県なので、たとえ大規模地震が起きる確率は低くとも、ゼロではないので、起きたときの被害は図りしれません。原発震災への備えって、気が遠くなるほどハンパじゃないものが必要です。本当に気が遠くなります。万が一何か起きたら、ええっと、私はガンや白血病になっちゃうでしょう。確実に。(だって、備えなんて何にもしてない。)




でも、そんな悲観的な方向にいきたいのではなくて、だから、原発止めよう、なのです。

再処理だって、もちろんNO!




今年は、チェルノブイリから20年ですが、被曝による健康被害はじわじわやってくるのが特徴なので、20年なんて、データとしてまだまだ、のよう。原爆による被曝者の健康被害は、今でも後を絶たないわけですし。じわじわとガンになったり、体の機能が侵されていくのです。



ヒバクシャ ~ 世界の終わりに


で、肥田先生が日本海側、特に東北に乳ガンの発生率が、ある時期を境に急激に増加している点を挙げているのも恐ろしかった。


チェルノブイリと因果関係がありそうなのです。






でもさあ~金沢で地震なんてね~非現実的な話じゃないの? と、地震国じゃない石川では思ってしまいますが、金沢でだって、いつ大地震が起こってもおかしくない模様。




その昔、学生の頃聞いた話ですが、金沢では大体150年~200年周期で、結構な規模の地震が起こっていたらしく、前回の地震が起こってから、すでに150年は過ぎているそうです。




というわけで、山を削って埋め立てた、地盤のゆるいところに建っている某大学は、地震が起きたら1日で、ジャ○コ○の里店のおトナリへ移転!というわけです。(あの坂を上り下りしなくても、隣がジャス○!まあ便利!)





原発がなかったら、電気が電気が、という議論もありますが、原発は稼働したらしっぱなし、電力消費量の少ない夜は止める、とかできないそうで(他の電源ならできる)、電気作って、ついでに放射性廃棄物もじゃんじゃん作って、でも電気は溜めておけないからジャンジャン無駄にして、あとに残るはオソロシイ廃棄物の山。



この廃棄物の管理とリスクも計算にいれれば、原発が一番安い!なんて言ってられないわけで、現在の電力のなかで一番非現実的なのが、原発じゃん!?と思うのですが、、、さて。




ヒバクシャ 』 を撮った、鎌仲ひとみ監督の新作ドキュメンタリー『六ヶ所村ラプソディー 』は、シネモンドで9月に上映決定だそうです。同時に『ヒバクシャ 』も! すごい!!!

自分にとっては重要なことなのだけど、きっと他人様から見れば「くっだらない」と一笑に付されるようなことを、ぐるぐるうだうだと考えていられる私って倖せなんだなあ、私が今いるこの狭い世界って平和なんだなあと、ぐるぐるうだうだ考えている真っ最中に、ふと思った。



身の危険を感じていたら、周りの人との関係がうまくいかないって、悩んでるどころじゃないんだろうなあって。




非常事態下において、ある種の同盟感覚を抱くことになるか、一触即発の最悪の状態になるか、かなあ。想像すらもうまくできないんだけど。




茶色の朝

茶色の朝


は、訪れてほしくない。ぜったいに。





でも、共謀罪をごり押しで衆院通過させようとか、教育基本法変えちゃおうとか、妙な歴史教科書が出回ったりとか、イラク派兵の既成事実がどんどん延長させられたりとか、有事法制ができちゃったりとか、国旗国歌法が施行されたりとか、新ガイドライン=war manualでワケのわからない後方支援が決まったりとか、9条掲げてる日本が自衛隊もっちゃうことになったりとか、遡るにつれて、私の記憶はアヤシクなっていくのだけど、自民党が昔からやろうやろうとしてたことが、ジワジワと確実に形になっていってるのは、正直、『茶色の朝』はもしかして目の前?と背筋が冷たくなるのです。




くだらないことをぐだぐだと考え続けていられる(内容は、必ずしも楽しい内容じゃないのだけど)こと、の、倖せを、ずっと噛みしめていられるように、このままなしくずしにヤバい方向へ行かないように。




まずは、平積み本を少しずつでも片づけていかないと。

(でも、私の頭の中身が追いついてない、背伸びして買った本もたくさん。)

純愛

コメント (2)

『容赦なき作品なので、覚悟して読んで下さい。
性描写の嵐の彼方に、純愛を見出して貰えれば幸いです。 』



と、作家本人が言っているので、

他にどれを読んでみようかと思ったときに、

どうしても気になった『シシリエンヌ』。




物語の結末に納得がいかない人が結構いるらしい



というのも、じゃあいったいどんな話なんだろうと気になって。






で、ワタシは、結局泣く羽目に。


切なくて。苦しくて。そして怖くて。




結末は、納得がいく、いかないというよりは、

そんな結末を迎えざるをえなかったのだとも感じるし、

苦しく続く未来を予感させられたりもするし、

違う選択肢はなかったのかと問いたくなる一方、

こうするしかなかった切なさ、苦しさでやるせなくなって、、、。




作家の思うツボに入っているのかも。(笑)





巷で流行りの「純愛」って言われても、

これまでピンと来てませんでしたが、

私にとっては、これは思いっきり純愛でした。




そういえば、作家自身もそう言ってることだし。(笑)




なんだか、嶽本野ばらの作品は、

ギャグでもシリアスでも、

いろいろ考えさせられちゃう作品ばっかですね。




してやられた!という感じです。

NOVALA

コメント (2)

友人に無理矢理(笑)読まされたわりに、久々に小説で泣きました。






嶽本野ばらの『エミリー 』。





名前だけは知ってましたが、

本を読むまで男性だということも知らなかったワタシ。

(スミマセヌ。)




で、他の本も読んでみようと、

友人オススメ(?)の、『下妻物語 』、『下妻物語・完 』を読みました。



久々に、読書中(マンガも含め)に声を上げて大爆笑。



でももちろん、それだけで終わらないわけで。





ハマると、とことん、なワタシなので、

更に他の本も読んでみようと思います。

エコかどうかは、とりあえずさておき。




おかしな天候の春~初夏ではあるのだけど、さすがに少し蒸し暑くなってきたので、と、サンダルやら雪駄やらを出す。(この前までブーツ履いてたのにねえ。というか、ブーツ oder サンダルという選択肢しかないかも?私。)



出してみて思い出したのが、もっているサンダルに、一つとしてまともなものがなくなっちゃってた、ということ。




中敷きが破れていたり、紐(?)がちぎれていたり、底が減っていたり。




といっても、どれも壊滅的、というわけでもなく。




直せば履けそう。




ドイツ滞在中は、ご近所にウデのいいマイスターがいらっしゃったので、いつもすぐに直してもらっていました。



新しく買ったブーツに滑り止めを張ってもらいたくて、といっても、ハタチそこそこの私には、そういうことをするのが初めてだったので、最初は無難(?)に、大きなデパートの中にあった全国(全世界?)チェーンのお店に行きました。だけど、高い工賃をとられたあげく、2日後にはがれる、という信じられない仕事内容。といっても、お店に文句を言いに行く度胸も根性もなかった私は、つたないドイツ語で友人にブツブツ愚痴を吐いていたら、あんなチェーン店に行くオマエが馬鹿なだけ。マーケットの裏にいい職人がいるよ、って紹介してもらったお店。




裏通りのお店には、売り子さんも座っていなくて、大丈夫かな、と緊張したり心配したりしながらお店のドアを開けたのですが、奥から出てきたちょっと気むずかしそうな、方言しかしゃべらないオジさんは、私のもっていったブーツを見て、「うわ、いくらなんでもひどい仕事するねえ。いくら取られたって?ひどいね。直しておくから、明後日の午後またおいで。」と、同じ番号を紙に2つ書いて、一つをブーツに留めて、一つを私にくれました。




直してくれたブーツは完璧。



その後、他のブーツの底の張り替えもお願いしようと持っていったら、踵がものすごく減っていて、減っているどころか樹脂の部分まで剥き出しになっていて、こんなのはもうダメかなあ、と思っていたら、見事なくらいまでキレイに修繕してくれました。



うわ、職人さんって、こんなのまで直すことできるんだ、ってビックリしたものです。




直して貰った部分が、1ヶ月くらいたって、ちょっとはがれて来ちゃったときは、「これは俺のミス。だから、無料で直させてくれ。」と、職人魂大爆発、だったり。




場所以外、お店の名前も電話番号も、何も覚えてないのですが。





でも、帰ってきてからこっち、どこで直していいものやら見当もつかず。

とりあえず、の、応急処置は、全国チェーンの例のお店でやってもらってはいましたが。



徹底的に修理、となると、ちゃんと修理してもらいたい内容を話して、できれば最高の状態に戻したいし、定番の修理しかしないチェーン店じゃ無理だしなあ、、、と、調べてみると、野々市に革製品の修理屋さんがあるみたい、ということを発見。




というわけで、近いうちに行ってみようと思います。


直したい靴はいっぱいあって、靴だけじゃなくって、実は鞄も修理してもらいたいのがあって、いいお店だったら通い詰めになりそう。(けど、日本の最近の修理屋さんにはがっかりさせられたことが何度かあるので、過剰な期待は禁物、かな。)




コストは度外視。

たとえ、修理代で新しいサンダルが買えようとも構わないのです。

他者との関係について、思いを巡らせているここ最近。



といっても、毎度のことながら、ぜんっぜん深刻じゃなくって、ぼんやーりと考えているだけなのだけど。





その中の一つが、「友達」のこと。



「友達」と言われて、以前はもっとたくさん思い浮かんでいたのに、今はほとんどいない状況。(仲間、とか、同級生、とか、そんなカテゴライズできる友人はいるんだけど。)



といっても、それを寂しいと思っているわけでもなくて、こんな状況に自分が陥ったのは、私がとった言動のせいであるし、でもそれは私にとってはそうするしかなかったわけで、関係を修復しようとかも思っていない。



相手が関係を修復したい、以前のように戻りたい、と思っていても、私にその気がないからにゃあ。いつか、時が来て、「新たな」関係を築けるのであれば、それは全然オッケーなんだけど。




やっぱ冷たいよなあ私、でも、冷たいっていうよりは、「冷めた」って感覚だよなあ、でも、何がいったい「冷めた」んだろうねえ、、、???なんて、ぐるぐる考えてた時に言われたひと言。







『若い女同士の友情って、ほとんど恋愛じゃん。』







思わず、ポンッとヒザを打っちゃいました。






自分でも、もしかして、恋愛感情と似てる?って一瞬思ったこともあって、でも、いやいや、それ以上の絆、なーんて別範疇に入れたりして、かなりベタベタな関係だった。少なくとも私の方は。


そんなだったから、壊れてしまうと修復不可能になったのかも。




異常なまでの信頼、異常なまでの固執、異常なまでの依存。


そんなものが一気に崩れ去るわけだから、自分が播いた種とはいえ、受けるダメージは大きくって。って、端から見れば、自分で勝手に傷ついてるだけなんですけどねえ。(笑)




うーん、じゃあ、なんでこんな関係ばっかり、10代・20代(これからも?なのかは不明。)と築いてきたのかっていうと、それはまたボケボケっと考えていこう~というこの頃なのでした。


4月・5月の低温のせいか、発症が遅くはありましたが、

毎年恒例、くしゃみのオンパレードが始まりました。


のど飴ももっちろん欠かせません。

救いは、今のところまだ目がそんなにひどくない、ってことかしらん!?




去年は、職場の農場にほぼ毎日出かけていたので、アレルゲンを吸い込みすぎたのか、かなりひどい状態でした。(のくせに、病院行っても、血中のアレルギー反応ほとんどないんだよねえ。症状は出てるのに。)



今年はどうかなー。

畑には行ってないので、週末のお店のときに、

メチャメチャ悪化するけど、その他では許容範囲。




いつかは体質改善!とか思ってるけど、「いつか」って、いつ?と自分にツッコミ入れるこの頃だったりします。

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