「ピースな関係。」のブログ記事

対立

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体が痛い。

寝過ぎという話もある。

最近、疲れ方がハンパじゃない。何もしてないのに(物理的には)。きっと、精神的な疲れなんだろうなぁ。いろいろあるしなぁ。自分が蒔いた種でもある。だから、自業自得と言われればそれまで。

だけど私は、知らなくていいと他の人が思うことでも、知りたいと思ってしまうことが往々にしてある。そして、一度知ってしまったことを棚に上げて、知らぬふりをして前に進むことはできない。そのため、周りの人との対立が起こることもしばしば。以前は、その対立が怖かった。対立=孤立、暴力とつながっていきそうで。今も、対立が怖くないと言えば嘘になるけど、対立を恐れて無知でいるよりはいいかなと思うようになってきた。無知でいることの方が怖い。

だからといって、対立を拒む人を非難するつもりもないし、その人が無知だとも言えない。対立を避けつつも、知を備えた人も世の中にゴマンといるのだから。

私も、不必要な対立はせずに、人当たりがソフトな人になりたいなぁ。すぐに頭に血が上って、パニック状態になるこの性格、なんとかしないと。

今の世の中の状況+私の周りの状況+自分の気質の内省で、むちゃくちゃ心が痛いです。だから必要以上に疲れるんだな。きっと。でも、ポーンと放り出せることでもないし。

まだしばらくは、この状態が続きそうです。

名言

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最近は、テロ事件に関して、他の掲示板等に書き込みをしていました。
うまく書けないなりに、言葉を選びつつ書いていたから、
そんなに長いものではなくても、ものすごい時間がかかってました。

だから、エコ日記を書き上げる気力(?)もなく。。。(言い訳がましい?)

で、テロ事件に関して書いたこと、自分で忘れたくないから、こっちに転載したり。。。(って、ただの手抜き?)

エコ日記は、今日あたりあとで1つアップできるといいなぁ。


さて、私がちょっと異常(?)なほど入れ込んでる漫画のセリフに、こんなのがありました。

『どんな大悪人を目前にしたとて、自分たちが正当だという立証になりはしない。たとえ我々が一度も手を汚さぬ人間であったとしても。』(獣木野生『パーム⑬「オールスター★プロジェクトⅢ」』より)

確かに、自分の家族や親しい人々が危険にさらされ、犠牲者になったとき、その人々を思う気持ちが強ければ強いほど、愛が強ければ強いほど、それは加害者への憎しみに変わります。それは、私だってそうかもしれない。だけど、私はだからといって自分を正当化はできないと思う。正当化してはいけない。憎しみを相手にぶつけ、相手を傷つけたとき、私は被害者から加害者に変わります。そして、その犠牲となった者を愛する人々は、私を憎むようになる。この憎しみの鎖は、永遠に解けることなく続いていきます。

鎖はどこかで断ち切らねばならない。
私はその鎖を断つ者になりたい。

たとえ、夢見事、絵空事と言われようとも。
現実の認識が甘いと思われようとも。

夢を見すぎているだけなのかもしれないけど、武力に頼らない道もあると思うのです。

武力行使は、この状態を鎮めるのに手っ取り早い方法だというだけです。でもその結果鎮まった世界というのは、真の意味で鎮まったわけではないと思います。新たな悲劇を生み、人々の心は、それ以前よりもすさみ、虚ろなものになっている。

時間はかかっても、遠い道のりでも、武力に頼らない解決を模索するのが、今私たちがとるべき手段なのではないでしょうか?

絵空事と言われても、こう信じる気持ちを捨てたくありません。

現時点での実現は、不可能に近いかもしれないけれど、同じ考え持つ人が、一人、また一人と増えたとしたら? 武力によって守られることを良しとしない人、武力に頼らない世界を夢見る人は、私だけではないと思うのです。

:::::: HOTEIフェチ!に書き込んだものを転載しました。::::::

この言葉も、重い言葉かもしれません。私は何の気なしに使ってしまったけど。

私は、地球上で起こる全てのことは、更にはこの惑星で起こる全てのことは、全てが因果関係の渦の中にあると思います。

因果関係がないように思えても、連鎖が果てしなく長く続き、見えにくくなっているだけで、本当は全てがつながっている。

テロを起こした人々も、犠牲になった人々も、ここにこうしている私たちも、みんな同じ「人間社会」という渦の中でつながっています。

そして、この「人間社会」に存在する歪みやひずみや矛盾が、今回のテロ行為や、それにかかわる人々を生み出したように思うのです。だから、歪みや矛盾を解決するまでは、似たような事件が起こりうるような気がします。この事件ですら、なるべくして起こったのではないかとさえ思えてくるのです。最悪の事態で露呈したとは思うけど。

だから、歪みや矛盾を抱えながらも同じ渦の中にいる私たちは、被害者であり、同時に加害者であると思うのです。

とっても悲観的に聞こえるかもしれません。私たちすら「罪人」だなんて。

でも、もう一方で私は、人間の持つ「絶対的な良心」も信じています。

「法」があるから人を傷つけたり殺めたりしないのではない。私たちは「人間」であるがゆえ、自分と同じである「人間」を傷つけないのだと。

幻想かもしれません。現在の状況を見ると、これはただの「絵空事」、平和ボケ(?)した私が勝手に夢見る理想郷だとさえ思えてきます。

でも私は、ここに、HEAVENに、そして今現在私が信頼を寄せる人々の間に、この「絶対的な良心」を持つ人が少なくないことを感じています。
きっとこれは、世界的に考えてもそうだと思うのです。

けど、ただ一つ気にかかるのは、「絶対的な良心」を持つ人が、各国の指導者になっているか?ということなんだけど。。。。。。


:::::: R-vision Worldに書き込んだものを転載しました。 ::::::

テロ事件II

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「報復」って
ものすごく恐ろしい言葉だと思います。

テロ行為は許されるものではないけれど、
暴力に暴力で対抗してみても、
新たな哀しみを生み、
必要のない暴力性を
人々に植え付けていくのみで、
何の解決にもなりません。

私たちの歴史は
私たちに何かを
教えてくれたのでは
ないのでしょうか?

私たちには
歴史の教えを学びとる力が
もうないのでしょうか?

資本「傾倒」社会、似非「民主」主義社会
というぬるま湯の中では、
「平和」の意味すらも
歪んでいくのでしょうか?


私は
人間が人間であるがゆえの
良心を信じたい。

テロ事件

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今、世の中を騒がせている、アメリカで起こったテロ事件。
一部の人々の暴挙により、何の罪もない人々にまで危害は及んでいる。

テレビに映る惨状を見ると、本当に胸が痛む。


けど、本当に「何の罪もない人々」なの?

ここにこうしてテレビを見ている私たちにとっては本当に人事なの?

私たちには罪はないの???


現在の資本「傾倒」社会、口先の「民主」主義社会をよしとし、
安穏と生活している私たちが、この社会のひずみと問題を、
見てみぬフリをしていたために起こった、ある意味必然の出来事だったのではないの?


テロ行為を、戦争を是としている気は全くありません。
むしろ、その逆です。


現在のこの社会が「平和」とは到底いえない。
私たちは、今のこの社会に棲み、「平和ボケ」しているだけで、
真の平和にはまだ到達していないのに。


この出来事は、私たちの隣で、今にも起こる出来事かもしれない。


世情に疎く、世の中のことをまだあまり知らない私なので、

判断はまちがっているかもしれません。
でも、「今」の私が思っているのはこんなこと。

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