「つらつらと日々思う。」のブログ記事

パーマカルチャーの番組を見たとき、そういえば、循環系のシステムを社会活動に取り入れて、地域通貨をも導入したオーストラリアの町のこともやってました。これもすごかった。

お互いに、自分のできることを分け合って、持ちつ持たれつの構造を作って、しかも、経済利益とかが優先してない。やーん、理想!

詳しい内容は、けっこうボケーっと見てたので覚えてないけど、また調べてみようと思いました。

オーストラリアとかニュージーランドって、ちょっぴりあこがれの土地になってきた。ヨーロッパも大好きなんだけどね。。。

過剰包装

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最近、買い物のときにいつも思うのが、包装が過剰だなぁ。。。ってこと。お菓子1つを買っても、昔は箱や袋を開けたらそのまま食べられることが多かったのに、今はさらに個包装を破らなくちゃなんない。

もちろん、個包装がなされてることで、湿気るのが遅いとか、傷むのが遅いとか、持ち運ぶのに便利だとか、消費者側にもいろんなメリットはある。けど、このメ リットは、ゴミを増やし、環境に負荷を与えてまで必要なメリットかな?と疑問に思う。買い物をして、その後すぐ料理をするときは、家に帰ってすぐに開くわけだから、わざわざ過剰に袋に入れてもらう必要はない。だけど、リンゴ一山を新たな袋にいれてくれるし、パック詰めの魚や肉もしかり。買い物袋が汚れない とか、そういうメリットがあるのはよく分かるのだけど、、、

そんな中、量り売りをしているお店とか、過剰な個包装を控えてくれるお店と か、そういうお店がでてきたのがとっても嬉しい。私が布ナプ関係でお世話になっているてくてくさんは、包装もホントにシンプルだし、届いたものを開いて も、すっごくホッとする。ゴミの山ができないから。

そういえば、昨日もちょっと嬉しいことがあった。突然モスのライスバーガーを食べたく なって、テイクアウトを頼んだのだけど、そのときに「すぐ食べるから、そのままの形でいいです」なんて、ワケの分からない頼み方をしたのに、ホントに最低 限の包み紙だけで、ほかには袋も、紙ナプキンも、なーんにも付けずに、「これでいいですか?」って、バイトの子(だと思う)が渡してくれた。普通、マニュ アルがどうとかで、これには絶対こうしなくちゃいけないっていうんで、こっちがいらないといってもいろんなものがついてきて、もらった直後にゴミ箱行きな んていう無駄が出る経験を何度かしたあとだっただけに、素直に柔軟に対応してくれて、ホントうれしかった。

てくてくさんにしても、チラシ を入れるとか入れないとか、配送も軽いと郵便にしてくれるとか、とっても柔軟に対応してくれる。もちろん、こういった柔軟な対応ができるのは、お店自体が そんなに大きくないとか、モスのバイトの子の場合は、客が私しかいない時間帯で、そのことだけに気を配れるという状況だったからとか、そういう理由がある と思う。会社が大きくなればなるほど、一人一人の顧客に対し柔軟に対応するなんて、きっと至難の業になっていって、いろんなことがマニュアル化されていく のだろう。ケド私は、これからは、マニュアル×自動化の方向に進むんじゃなくて、アナログに人と人が接し、いろんなことに柔軟に対応していくようになってほしいなぁ。

個人情報

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逃げる方も必死なら、やっぱりそう簡単には捕らえられるものでもないよう。
この前の日記には「捕らえられるのも目前」なんて書いてみたけど。

それにしても、どういうふうに情報が伝わったり、明らかになったりするのか、恐ろしい気もする。

私が日々、身近に感じる「情報」っていのは「個人情報」。最近はだいぶ減ったけど、ある時期毎日のように、何かの勧誘の電話がかかってきてました。主にエステとか美容関係が多かったかなぁ。あとは、弟や妹に対しての、教材販売だか塾への勧誘だか。相手もさるもので、最初に「○○エステです」なんて言うと、あっという間に切られてしまうのが分かっているからか、「××といいますが、△△さんいらっしゃいますか?」なんて、友達のようにかけてくるので、親も取り次いじゃうし。。。あ、話を戻そう。個人情報、個人情報。こういった電話の相手って、こっちの名前&電話はおろか、年齢や、何をしてるのかも(だいたい)把握してるわけで、それって一体どこから分かるの?と思ってしまう。

以前、「塾講師しませんか?」と電話がかかってきたときも、私の高校の同窓会名簿が流されてたみたいし。やだなぁ。そんなの。

最近は、些細な防衛策とは思うけど、懸賞とかの類へは、やたらめったら応募しないようにしてる。あとは店の会員登録とかも。ホントに必要なものにだけしぼるようにして。(昔は、ちょっとでもサービスがあるならと、いろんなものに手出してたんだけど。。。貧乏くさい?)

メールアドレスの開示もイヤです。私はウェブのアドレスをメインで使ってるから、その弊害もあるのかもしれないけど、迷惑メール嫌い。特に、なんだか知らないけど、いつの間にかアダルトサイトに登録されているみたいで、週あたり10通ほどのメールが送られてくる。。。配信停止を何度も試みたけど、結局うまくいかないし。どうなってんだろ!?

ああ、話がズレてきたなぁ。
どうすれば自分の情報が必要以上に漏れないか、現在も検討中です。

今日、米国防総省より、ウサマ・ビンラディン氏がテロ事件を回想し、発言しているビデオが公開された。氏のテロ事件への関与を示唆する、重要な証拠と見なされているものらしい。

これを受け、あるテレビで(まともに見ていたわけじゃないので、誰のどの番組かは忘れた。)「これまで空爆に反対を唱えていた人も、改めて考え直すことができるのではないか」といったコメントが出されていた。

空爆開始以前、ある人が私に「あなたは決定的な証拠の提示がなければ武力行使反対というけれど、じゃあ証拠が開示されれば、武力行使に賛成なのか?」と言ったのを今でも覚えている。当時は私もまだパニック状態だったし(今でもか?)、しかも話していた相手がそんなに親しくもなく、武力行使への見解も180度違っていたので、お互い頭に血が上るにつれ、言葉尻の揚げ足をとるような議論になっていった。そんな中で出てきたのが上の言葉。私は「空爆なり、武力行使はどんな大義名分を掲げようとも反対、ましてや証拠も開示されていない状態で、どこに正当性を認めよというのか?」という意味で「決定的な証拠の提示もないのに、空爆するなんて、全く受け入れられない」と言ったのだけど、ひっくりかえして受けとられてしまった。

ま、それはいいのだけど、決定的な(と米国が言う、Anführungszeichen。)証拠が、世界中に開示された今、テレビで誰かが言っていたように空爆を正当化できるのか? 

私はやっぱりできないと思う。
というか、むしろ逆で、非正当性が顕わになってきたように思う。

アルカイーダやビンラディン氏が主犯だと断定できる情報をゲットしたり、今現在のビンラディン氏の隠れ家が分かったり、そのため氏を捕らえるのは目前と言われるほど巧みな情報工作(とでも言うのか?)をする手だてを持っているのなら、なぜアフガンに空爆をする前に、根気強くその手段をとらなかったのだろう?という疑問がふつふつとわいてくる。

アルカイーダなりビンラディン氏なりが主犯だと、空爆開始以前に既に断定できていたのなら(そもそも、だからアフガンに侵攻したんだよね?)、わざわざアフガン市民を傷つけるような手段をとる必要があったのか? 情報工作で、その主犯を捕らえれば済んだだけの話なのではないのか?

結局アメリカは、自己の強さと権力を、世界中に見せつけたかっただけなのじゃないのか?

最後の一文は言い過ぎだとは思うけど、結局私は、このビデオの公開で、ますますアメリカの空爆に対する不信感が募りました。なーんかおかしいよ。絶対。

自己嫌悪

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自己嫌悪せずに生きることは、なかなか私には難しいよう。

12月に入ってからというもの、自己嫌悪のしっぱなし。
でも現実からの逃避癖は改善されず。ヤバイぞ!?

改めて、自分への甘さを認識。
本気で改善したいと思っていないようだ。
まあ、なんとかなるサで、のらりくらりと日々を過ごしている。
それでいいのか?

ホントは良くないと、頭のどこかで叫び続ける声を完全に無視して、
ぐうたら生活を送っている。

あとで泣きをみるのは自分なのに?

何が原因でこの状態が続いているのかな?

いや、きっと原因なんてないと思う。
原因探しは、自分への言い訳探し。

はぁー。いかん。いかん。いかんぞ。

最近いろんなところで言いふらしてる(?)ことだが、「30歳成人説」。これは別に、私が言い出したことでも何でもなく、いろいろ行き詰まってる私を見て、もうちょっと楽にかまえましょうと、指導教官が私に言ってくれた言葉。こんな説が、脳生理学(だっけな?)であるんですよ~と。何でも、日本人(だったかな?)は、30歳でようやく脳が成熟し「大人」つまり「成人」と言えるらしい。

そのときは、ふんふんと聞いていただけだったが、考えてみると思い当たる節がいろいろある。

ドイツで、また、こっちに来ている留学生との交流の中で、私はいつも年下であり子供だった。実際の年齢は私の方が上であっても、この関係が逆転したと感じたことはあまりなかった。周りがすごく大人に思えた。行動も、考え方も、生活も。

別に、周りと比較しなくても、自分自身を振り返ってみてもそうだ。高校の時に勧められた本が、今読んでやっと面白いと思える。当時は読んでも、理解するどころか、何が分からないのかすら分からなかった。それで現国が大嫌いだった。。。話がズレたが、これは、その当時、私の脳は、その本を読めるレベルにまで発達してなかったのではないか?考えるに至ってなかったのではないか?と思う。今になってやっと、その当時先生が欲していた高校生のレベルになってきたとでも言おうか。

現在26。30まであと4年弱。それまでにがんばって、ちゃんと「成人」したいと思う、今日この頃。

昨日は、友達から情報をもらって、もう20数年だか化学飼料等を使わずに畜産業をやっている、興農ファームの本田康一さんという方のお話しを聞いてきました。主にはBSE(だっけな? かみ砕いていえば、ちまたで騒がれている狂牛病)の話で、かなり勉強になりました。

そ もそも、狂牛病について、こんなに騒がれているにも関わらず、そんなに敏感に考えてなかったのだけど、今日はそれがちょっとだけクリアになりました。 BSEの場合、餌が問題で、まあ、いわゆる「肉骨粉」が元凶なわけです。草食性の牛に動物性タンパクを与えたことがそもそもの原因というか。今日聞きか じった話では、動物は、タンパク質を消化して無機物にして体内に取り込むのだけど、同族のタンパク質は、完全に無機物に分解されないまま取り込まれる場合 があって、それが遺伝子に異常をきたしたりするらしい。で、BSEの場合も、プリオンというタンパク質が異常プリオンに変質し、そのせいで運動機能に必要 な銅を体に運搬できなくなり、結果、運動機能に支障をきたし(ものが食べられなくなったり、胃の機能が低下したり、その他いろいろ)、最終的には肺炎を起 こして死んでしまうらしい。「同族のタンパク質接種」という意味では、人間の「クールー病」なんかもそうらしくって、人肉を食べる風習のある民族は、この BSEのような「海綿体脳症」ひいては「クールー病」の発生率が高くなるらしいです。

私は、農業についても、畜産についても、ぜんっぜん 詳しくないのだけど、超単純に「草食の動物に動物系の飼料を与えておかしくなるのは、そもそも当たり前なんじゃないの?」とは思ってました。人間だって、 食べられるものと食べられないものがあるし、それは動物だって植物だって一緒だろうと。単純すぎる考えかもしれないけど。生物の機能っていうのは、科学の 力のまだ及ばない次元で、ものすごくバランスがとれているものだと思うし、人間がどんなに知恵をつけたといっても、人間が人間のためにだけ、そのリズムを 勝手に変えてはいけないと思うのです。。。ツケはまわってきます。絶対に。いつか、形を変えてでも。

一言でいえば「近代農業の破綻」。そこまでいかなくても「行き詰まり」。循環系を無視したがために、たまったツケを今、そしてこれからも払わされるわけです。ま、自業自得っちゃ自業自得か。

な んだか話がだんだんあらぬ方向へいってますが、今日の講演で一番心に残った言葉が(ホントはいろいろあるけど)「閉鎖系農業」。動物、植物の生態や生理を 守って組み立てる農業のことのようです。私は、一つの農場で、全てを循環させるってことだと理解しました。単純化していうなら、牛を飼う。その牛が出す糞 は、土壌のいい堆肥になる。その堆肥を用いて作られた作物が、また牛の飼料になる。といった具合。もちろん、これは超単純化して言ったまでで、本当は間に もっといろいろな生態系が入ってきます。

そして、これって、私が究極的にやりたいことだよなぁ。。。と再確認。講演や質問タイムがあと1 時間長かったら、「私、雇ってもらえますか?」って言っちゃってたかもしれないくらい。そして、私の場合は、こういうことをまだ頭で考えてるだけで、実際 にはほぼ何も行動に移してないけど、現実に、すでに20数年前から、実行している人がいるってことを知れて、その人から直にお話しを聞くことができて、ホ ントに有意義な一日でした。。。 またこんな機会があるといいなぁ。。。

やっぱり肩肘はりすぎ。。。

と、ふと思った。いろいろ一生懸命は一生懸命に考えてるつもりだったけど、それだと偏って見えなくなる部分もすごく大きい。それは問題。だから行き詰まってたんでしょう。きっと。別に、平和問題とか、そういう方面に対してだけではなくって、私自身に関して全般的に。考え方もキテるなぁと。我ながら。人に対する「あたり」も。(あたりが柔らかいとかキツイとかそういう「あたり」です。漢字はどれなんだろう。。。!?やっぱり「当たり」かな。)結構extremになりつつあった。軌道修正必要。なんか、高校の頃を思い出してしまった。。。同じ過ちくり返しちゃいけないなぁ。

だけど気づいたこと。まず、人に対しては、私が苦手なタイプは基本的に(相変わらずとも言えるか。。。)同じ。気づいたというより、再認識か。相手がどうの、性格が合わないどうの、最初はいろいろ思うけど、結局は私のコンプレックスが増幅されちゃう相手を苦手と思うだけのよう。でもそれに気づかなくて、相手の方に問題(欠点?)を見いだそうとするから、苦しくなっちゃう。しかも自分に対して言い訳がましく(?)なるし。「あ、私のコンプレックスか。」といったん気づいてしまえば、「なーんだ、またか。ばかじゃん!?」って自分で思えるからいいのだけど。

平和やらいろんなことに関しても、肩肘張って、extremな状態のまま、いろいろ考えてみても、結局は落ち着かないし、いつかバランスが崩れて(というかもともと偏ってるわけだし、バランスもくそもないけどね。。。)、ダメージ受けて、しばらく再起不能になっちゃう。それって問題。大問題。そこまでに陥ることのないように、うまくバランスをとっておかなくちゃねぇ。けど、extremに行きがちなのが私の性格でもあり欠点でもある。どうすれば克服可能か!?

ところで、今日は、去年行ってたサマーコースのお世話係だった人から、コース参加者全員に宛ててのメールがきた。この10週の間に世界的に起こっている劇的な変化について、みんな(もちろん世界中いろんな国々の人がいます。。。)で話をできたらうれしいな、って内容。私はかなりうれしかった。同じことを思ってたから。特に、私が関わるドイツではどうなのか、すっごく気になってた。もちろん他の国々でどうなのか(政府見解とかじゃなく)も気になってた。の割に、自分から何も行動してないけど。。。

なんか、また、とりとめがなくなってきたなぁ。
今日はこの辺でストップしよう。

自戒の意味を込めて。

私が正しいとか、必要だと思ってることって、結局は、西側諸国が掲げた理想であって、人間すべての理想ではないのかもしれない。日本にいて平和ボケしてるから考えつく程度のものかもしれない。

人間としてどうの、人権がどうの、道義的にどうの、なんて、明日の命の保障がされていない人々、食べるものに困り、寒さに身を震わす人々にとっては、二の次で、どうでもいいことなのかもしれない。

「虐げられている」と、私の目には映っても、本人はそう感じてはいないかもしれない。

私は私の現在の環境で快適に生活している。幸せといっていいだろう。だが、私が幸せだからといって、全ての人が私と同じ生活をしたからといって、幸せだと感じるわけではないと思う。人にはそれぞれの幸せの感じ方があると思う。

いろんな価値観の人間が存在し、いろんな視点を持つ人間がいる。それぞれがお互いを理解しようと努力し、違うことを認めつつ共存する。様々な多様性が共存し、お互いを補い合うような世界。人間社会だけではなく、地球上の全ての生物、無機物が共存しうる世界。お互いを補完し合う世界。
それが、究極的な理想の世界では?と思う。

でも、現在の社会はどうか。
いわゆる「西側」の資本主義社会・経済に重点が置かれ、人々の間に暗黙のスタンダードが存在し、その基準に達していなければ、発展途上というレッテルが貼られる。そして、そういった国々は、是が非でも西側諸国のレベルに到達しようとする。
多様性どころか、一極化に進んでないか?

そして、異質なものを排除しようとする動き。すべてが地球上に存在する限り、ツケはまわってくるし、排除できるわけはないのに。

でも、こういったことを口にすることで、私は「一極化」の方向へ進もうとする動きを否定していることになる。ということは、私も、私と異にするものを排除しようとしているということ!?

だから最後にもう一度。
「自戒」の意味を込めて。

耳には痛くとも、思いを異にする人の意見を冷静に聞けるように努力しよう。
自分がこうと信じる以外の視点にも、立ってみる努力をしよう。

さて、なかなかこっちの方を書けないでいました。メーリングリストはじゃんじゃんメールが送られてくるけど、全部を読めないでいます。よくロムりにいく掲示板も、3日に1度ほどしか見にいってません。

でも、そこでも誰かが書いていたけど、自分あっての、いろんな運動だから、自分の生活が脅かされたり、日々の生活に支障がでるくらいでは意味がないと思う。なーんて、一月前までの私はそうだった気がする。他人の意見に翻弄されて、自分までも見失いかけていたし、しんどかった。周りの人とのギャップに脅えたり、血が上りすぎて攻撃的になったりもした。今もそうではないとは言えないけど、その時よりは落ち着いてると思います。だからやっぱり、自分の生活を守った上でのいろんな活動だなと。もちろんこれは、私に当てはまることで、他のひと全てがそうなわけではないと思うけど。

で、署名活動にしろ、平和運動にしろ、なんにしても「その活動に本当に意味があるのか」「自己満足じゃないのか」「思い上がりも甚だしい」などの批判が出るのをよく目にします。最初はショックでした。「正しい(と思ってる)ことをやってる(ハズ)のに、なんでそういう中傷を受けねばならないの!?」と、眠れなくなってしまった夜もありました。

けど、今ちょっとだけ冷静(?)になって私自身をふりかえると、私の場合は、究極的には「自己満足」のためだと思います。今までちっとも世の中を知らなかった(知ろうとしなかった)私だけど、少しは考えたいと思うようになった。私のスタンスを明らかにしていきたいと思った。それは私が自分のためにやっていること。私が自分で「かくありたい」と思う自分に近づこうともがいているだけのこと。そのひとつが平和祈願であり、戦争反対であり、環境保護(と言えるほどのことは何もしてないけど)であるというだけ。

エゴのかたまりじゃー。

でも、私はなかなか利他的になることができなくて。署名にしても、募金にしても、そうすることで自分を確認するというか、結局、自己成長(してるかなぁ?)の糧にしているというか。他人から認めてもらいたいというわけではなくて、ホントに自己満足。だから余計、他の人にバンバン勧めたりできないのかも。もちろん、まだ精神的にもろすぎて、他者とのコンフリクトに耐えられないという面が一番大きいのだけど。

というわけで、私は私のための平和運動なんでした。
「運動」って言えるほどのことは、まだ何もしてませんが。。。

「ネブソクは肌にとっては大敵である。」
「食生活も肌の調子の善し悪しに重要なファクターである。」

何を今更分かりきったことを、、、と思われるかもしれませんが、私は頭では分かっていながらも、体ではそんなに理解してたわけではなかったのです。せっけん生活&脱合成洗剤を始めるまで。ま、お肌の曲がり角も過ぎちゃったからってのもあるかもしれませんが。

身 をもってこのことを体験したのは、せっけん生活を始めてから。それまでは、ある化粧品のヘビーユーザーでした。で、その化粧品を使ってた間は、肌に大きな トラブルなんてなかったのです。ホントに。ちょっと吹き出物が出たりしても、クリームたーっぷりつけて、いろいろ美容液みたいのをつけてると、あっという 間に治っちゃってたのです。え?吹き出物出て、クリームつけるの?って不思議かもしれませんが、その化粧品のユーザー中では、それが当たり前だったので す。だってホントに消えるもん。治るもん。

でも、これって、この化粧品の功罪だな、と今は思うのです。

スグに治って、キ レイな肌復活で、功こそあれど、なんで罪?って思う方もあると思います。別に、罪ってほどではないのだけど、私はこれまで、どんなにひどい食生活をしてよ うが、どんなにひどい生活リズムだろうが、どんなに精神状態が不安定だろうが、肌だけは一応キレイでした。友達に「あんたって、ホントに不健康な生活して ると思うんだけど、確かに肌はキレイだよね。それって、確かにその化粧品のおかげかもね。」と言われたこともありました。そのときは、この化粧品はホント すごい!と信じ切っていたし、「そうよ~、だからあなたも使わない?」ってなもんでした。でも、全然、体のことが分かってなかった。不健康なことや体によ くないことをしてれば、どこかにしわ寄せがくるってのは、頭ではわかっていても、実感がなかったのです。

それが、せっけん生活を始めよう と思って、今使ってる化粧品はものすごくいいものと聞いてはいるけれど、ホントのホントは中身はなんなんだろう?と思い、調べようとしてみました。けど、 なんだかベールに包まれていて、「信じてりゃいいの!」的な答えしか返ってこなかったため、かえって不信感増大。ホントにいいものなら、堂々と中身も教え てくれればいいのに。(今は全成分表示義務の移行中なので、一部公開しているようですが。)で一度化粧品断ちを強行。精神状態がよくなかったのも手伝っ て、肌はみるみるうちにひどい状態に。そこら中に吹き出物が出てきました。ただせっけんで洗っているだけだったのに。。。

けど、その時に初めて分かりました。肌って、ホントは正直なもの。体が参っているときは、肌にもてきめんに現れてくる。逆に体が健康を保てば、肌もちゃんと元気になってくれる。

今 現在は、うちにある在庫をちびちび使っている程度で、基本的にはほとんどこの化粧品を使っていません。このまえ化粧水もなくなったので、手作り化粧水に移 行したし。あと必要なのは、私の場合、日焼け止めのベースファンデーションくらいなのだけど、劇的な効果はなくても、安心して使えるものは、探せばちゃん とあるのだと思います。

劇的な効果で常にキレイ肌をキープするか、等身大に体と向かい合っていくか。私は、学生でのんびりしてるからかもしれませんが、現段階では後者を選びました。上司に「化粧くらいしなさい!」って言われるような環境にいたら、無理なことかもしれないけど。

これからどんな肌になっていくのかな。今は、楽しみ半分不安半分ってトコロです。

先日と違って、今日は何故か(?ネブソクのせい!?)ナチュラルハイ状態です。きっと、修論の中間発表を、なんとか(!)コト無きを得たからだと思いマス。。。この前は、その前日だったこともあって、オカシクなってたのかも。うーん、「おかしい」は違うか。情緒不安定。

最近はこんな感じで、ハイになったり落ち込んだり、起伏が激しくなってきました。どっちにしても、めまぐるしく感情が動いているので、悪い傾向ではないと思います。これまでは、よどんだ中で低迷してた感があったし、何に対してもやる気ゼロってのが多かったから。突然意味もなく虚しくなって、「こんなことやってもさー、、、」と自分で言い訳をつくって、ボケーッとしてたし。

さて今日は、車の中でまたいろいろ思いを巡らせてました。どうも、車の中は、一人で音楽なり外国語なりを聞いてることが多いから、私が考えを巡らせるのに都合がいい場所らしい。反エコで、ちょっと罪悪感をもちつつ乗ってはいるけどね。(もちろん(?)最近になって初めて「罪悪感」なんてのも持ち出したわけだけど。今までは乗って当然!というか、なーんも考えてなかったし。)

で、なんか、すっごくでっかーいこと考えてたんだけど、何だったかなぁ。エコのことも、テロ&武力行使のことも、ピースアクションのことも、全部つながってんだよなぁと思ってたなぁ。

あ、そっか。全てが私のこの情緒不安定状態の原因になってるってことなのか。で、いろんなところに原因があるんだけど、これが最たる元凶!と断定できるところはなくて、全部ぐっるぐるにつながってるなぁってこと。結局、まあ「元凶」というものがあるとすれば、「私自身」ってことだなぁと。今、周りの友達と確執があるってことも、結局私が自分で蒔いた種のようなもんだし。だって、周りの友達は「確執」なんて思ってないだろうし(多分、、、)、そういうふうに思ってしまうのは私。「なぜ私が「確執」だなんて思ってしまうか」っていうところが、問題。友達はそういうつもりじゃなくても、私がそういう風に思ってしまう。私がそう思っているから、友達にも私の感じていることが何となく伝わってしまう。で、見事に「確執」一丁上がりです。できあがりです。そうです。私が作っちゃってるんです。「確執」。

なんで?なんでなんだろう???

答えは分かってる気もするし、全然分かんない気もする。要は、まだ全然自分の中で整理がついていないのです。

この先、もう一歩進むには、まだまだ時間がかかるかなぁ。。。整理つくかなぁ。。。!?

ことば

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人の言葉が、胸にグサッと突き刺さるのは、言われたくないことを見事に言い当てられているからだと思った。できることなら、自分でも気づかないでいたい、気づかないふりをしていたかったことを、あからさまに言われるものだから突き刺さる。それが、隠しておきたかった、気づかないでいたかった内容であればあるほど、深く深く突き刺さる。

精神的に復活したかに思えた私だけど、まだまだ安定期には入っていないことが分かった。昨日の夜から、またグラグラし始めた。

私が今までとってきた言動は、やっぱり人の目にはおかしく映るのだろう。だからこそ、返事もなければ反応もない。それもそのはず、人の目を見て、直接話すことを避けてきているもの。メールで済ませられることではない。本当は会って、キッチリ話をしなければいけないはず。だけど、その勇気がない。電話をして、会うチャンスをつくる、そのコールに手をかけられない。

どうしてこんなに人と会うのに恐怖を覚えるのか。人と話すことに恐怖を覚えるのか。「あんたはおかしい。変だ。」と目で訴えられるのを見るのが怖いのか。

極端に走りがちになる私に、人はきっとうんざりしているのだろう。私が自制を覚えるようにならなければ、この問題はまた繰り返し起こることなのだろう。

ということは、私が、ある程度落ち着いて、心の平安(?)をえられるのは、まだしばらく先だなぁ。私が、まず私自身を乗り越えなければならないし。

勉強中(ってエラソーに言えるほどは勉強してるわけじゃないんだけど。。。(汗))だけど、まだ全然全部を把握できてないし、よく分かってないっちゃないんだけど、とにかく直感(!)で、思ってることを素直に出していっちゃおっかなぁと思い始めました。

といっても、こういう状態じゃとてもとても話し合い(?)はできないし、そんなことしたらまたパニックになって、今までの二の舞なので、話し合いをするというレベルにはまだ達してないです。

じゃ、どうやって出していくの?ってことだけど、ピースウォークとかに参加してみよう!ってことなのです。てか、マジで、一回ピースウォークに参加したいぞー!!! でもさー、この辺で企画ないみたい? 何か、ミーハー(!)みたい? こんないい加減じゃやっぱダメかなぁ。。。

自分ではなかなか行動に移せないため、せめて「署名」でもできればなぁと、テロ事件が起きた直後から思っていました。それでも、自分ではなかなか見つけることができなくて、いろんな方々・団体のサイトをぐるぐる巡っているうちに、だんだんと巡り会うことができるようになってきました。

署名はすごく消極的なような気もするし、自己満足で終わってしまう気もします。だけど、私のように、まだ判断能力に欠ける者としては、大きなことはできないけれど、それでも趣旨に賛同し、その気持ちを表すことができるという意味で、署名は一つの有効な手段だと思っています。もちろん、署名したからハイ終わり!じゃなくて、その後、ちゃんと事態をとらえられるように、努力は怠らないつもりです。

最近ちょくちょく覗かせていただいてるのが、そういった署名サイトに併設されている掲示板です。また、そういった掲示板からリンクされてたいくつかのサイトも気に入ってよく覗いています。なかなか自分から発言することはできないけれど、似たような悩みや考えをもっていらっしゃる方々も書き込んでらして、一緒に一喜一憂したり、元気づけられてたりしています。また、全く違う意見の方もたくさんいらっしゃって、その方々の言葉に翻弄されたり、パニックになったりすることもあります。

でも、最近、言葉に翻弄されるのは、言葉尻しか見てないからかなぁと思いました。相手の言葉の一部がひっかかってしまうと、相手が考えていること、願っていることをとらえきれなくなってしまう。そして言葉に振り回されて、結局は揚げ足取りのような議論になってしまう。それって、すごく不毛だなぁと思うのです。

確かに、理詰めで細かいところまできちんと把握して説明できるようになっていることは大切だとは思います。私にはそれが全く足りない。だから感情的にならざるをえなくて、最終的には支離滅裂になってしまう。でもそれは、言葉尻ばっかりに気を取られてしまった結果なのかもしれないと思うのです。理詰めでは究極的には詰まっていない私でも、相手の真意をとらえることを常に心がければ、言葉に振り回されたりすることもなく、もっと大らかに(?)対処できるかなぁと思うのです。。。

なんだか、わけ分からなくなってきたな。。。

今日、バイト中に、メモに使った紙を捨てようとして、ふと思った。
「この紙、まだ使えるよ? 消しゴムで消せばまだ使えるし、消さなくても書く場 所いっぱいあるもん?」同時に頭の中に別の声。「でも、この紙捨てても、まだまだウラ紙いっぱいあるよ? むしろ、捨ててジャンジャン使っていかないと、 ウラ紙で溢れるよ? てか、すでに溢れとるやん!!!」確かにそれはそうなんだけど、、、タダでさえ、紙と格闘になっちゃう(?)事務所だし。

だけど、だからって、浪費してもいいのかなぁ?


今日、バイトが終わって家への帰り道、車に乗っていてふと思った。
私 はいつもこうやって車を運転してる。一人でどこでも行ける。ケータイも持ってる。誰からもいつでも連絡がつく(まー、よくとらないことあります が、、、(汗))。それなりに自由にできるお金があって(今は首が回らないけど、食うに困ってるわけじゃない。両親に感謝!)、好きなことができる。

だけど、これってホントの「ぜいたく」なのかなぁ?

な いものねだりなのかもしれない。贅沢に溺れきって、ちょっと目新しいことをしてみたいだけなのかもしれない。けど、ちょっとくらい不便でも、モノを大切に 大切に何度も使ったり、時間はちょっとくらいかかっても、作れるものは自分で作ってみたり、面倒は面倒だけど、家族と車を共有したり(ましてや同じ家に住 んでいるのだから)、そんな些細なことをできる時間ってのが、ホントの「贅沢」なんじゃないかなぁと思う。究極的には、ただ消費するだけじゃなくて、自分 でもものを作って、足りないものは自然や周りの環境から借りたりして、大きな循環系の中にキチッと位置してると感じられるようになること。それがホントに 究極の「贅沢」のように思う。

今はまだ、借りっぱなし、消費しっぱなしの私です。。。

最近、かなり激しいバトルが繰り返されているサイトにたどり着きました。

マルチ関連の情報収集をしたときに、かなり精神的に疲弊したこともあって、真っ向から対立した意見(報復反対vs.賛成)が闘っているサイトには、敢えて立ち寄らないでおこうと思っていたのだけど、リンクをたどったりしていたら、結局はそういったサイトにたどり着いてしまいました。

で、マルチの時と同様、やっぱり精神的にダメージが大きかった。現実感のない子供、理想論ぶっぱなしても何も変わらない、自分をも真っ向から否定されている、そんな感情に襲われて、読めば読むほど自信はなくなるし、何が正しくて何が正しくないのかも判断がつかないような状態になっちゃいました。人に伝えていくことにも恐怖を覚えたし。失望もあったし。

それで、しばらくそういったサイトは覗かないようにしてました。ほんの数日ではあるけど。もちろんバイトがきつかったから、夜にネットもあんまりできなかったし。

で、今朝、久々にちょっとだけ覗いてみた。ほんの数日なのにすごい書き込み。お互い揚げ足取りのように思える発言もチラホラ。でも、前より受けるダメージが少ないかも……!? 少しは消化できるようになったのかもしれません!

とはいえ、まだ時間的に余裕がなくて、しっかりと腰を据えて読んでみたわけではありません。それはこれからやってこうと思います。

このことの大切さを身にしみて感じた3日間でした。単なる単発のバイトだったのだけど。どんなバイトだったかはOEKOBUCHの日記にちょっと書いたので、ここでは省略。

普段、家→学校・バイト→家に終始している毎日では、おのずと出会う人の数も限られてきます。というか、もう「新たな」人に出会う機会は、ほぼないと言っていい。

もちろん、周りには私の大好きな人たちがいて、いろんな話だってできるし、それはそれでもちろん楽しくていいのだけど、でも最近、いろんなことに参り気味で、ぐるぐる同じところをまわって、なんだか自滅していた気がします。自信喪失っていうのも、なんだか気分的に病んでたせいかな?

いつもなら、ホントはあんまりしょっちゅう新しい人に出会って気を遣う(?)のは、気疲れが多くて得意じゃないのだけど、今回はホントに行き詰まってたせいか、トータルで6日間、6人の人に会って話すことができて、気持ちのリフレッシュになりました! バイトの話を持ってきてくれた方に感謝!

で、リフレッシュしたところで、またまたテロ&軍事報復のことにも戻ります。

改めて思ったこと。
私はまだ、エラソーに何かをどうこう言えるような立場にありません。いや、そんなこというと、誰だってそんな立場にないよ、といわれるかもしれないけど。「立場」というか、私が思うのは、私は自分の腹がちゃんと決まってない、ということ。もちろん、「軍事報復、武力には絶対反対」という腹は、揺るぎないものにはなっています。でも、報復賛成を唱える人には、まだどうこう言えない。何にも言えない。逆に、同じように軍事報復反対と思っている人が周りにいても、署名をお願いしたり、デモに参加しようと言ったりするのにも気が引ける。といって、自分はアクション起こさないという意味ではありません。私ができないのは、他人に、特に周りにいる近しい人に、積極的に呼びかけることができないこと。。。 どうも、ここが私の病巣のようです。なんで積極的に呼びかけることができないのか? 同じように平和を願う気持ちをもっていて、自分と仲の良い人なら、さっさとやれるはずなのでは? 夏に揉めたことがトラウマになってるのかもしれません。そんな大袈裟ではなく、単に弱い人間だからかもしれません。とにかく、ここを乗り越えなければ、私はこれ以上前へは進めないのなだなぁということを、今、実感しています。

で、というかむしろ、だからこそオベンキョ続けます。情報源が偏っているかもしれないけど、あちこちに手を広げすぎても私の許容量を超えるので、偏っているかも?と思いつつも、いくつかの掲示板を覗くことにとどめておこうと思います。偏ってるかも?と思い続ける気持ちは忘れないようにして。

これからは、そのゲットした情報をもとに、私がどう思うのかも書いていきたいと思いマス☆

6日間の早起きバイト生活も終わりました! むっちゃ疲れた~。。。ケド、なかなか楽しかったです。最初はどうなることかと思ったけど。やっぱ私は、初対 面の人を相手にした場合、1対1とかで、ゆっくり話す方が向いてるなぁ。だから合コンなんか行くとシラケ王(自分で命名。バカかも?)になっちゃうんだ。 コンパだと複数が相手だもんねぇ。

と、そんなことはどうでもよくって、バイト中に思ったこと。車にひたすら乗り続けるバイトだったのだけ ど(渋滞調査?)、休憩が毎回1時間のうち20~30分あって、パーキングエリアとかコンビニとかで停車します。6回あったので運転手が6人いたんだけ ど、その休憩の20~30分の間、エンジンを切らないドライバーが結構いました。別にエアコンが必要だったわけではないのだけど。それで私は、「エンジン かかってると揺れるから疲れる~」とか適当なことを言って(いや、実際にもそうだったのだけど。)、切ってもらうことにしました。アイドリング、どれくら い環境に影響があるのかは実はよく知らないけど、ドイツで、ちょっと長めの信号でエンジンストップする人が多いのを見てたので、30分もアイドリング状態 を続けるのはちょっとね、、、と思っちゃいました。

休憩中は、やっぱりトイレとか行きたくなるので、コンビニによく入りました。しばらく コンビニ離れが進んでた私にとっては、やっぱりコンビニのごはんはダメでした。1回目だけ、要領がわからなかったので、コンビニで何でも調達したけど、そ れだとお金も使うし(何のためのバイトだか!)、2回目からはおにぎり+飲み物持参。(母感謝!)4度目からは飲み物も2つに増やしました。(結構のど乾 きました)。でも、やっぱりトイレだけで出てくるのは気が引けて、ガムやら飴やらちっちゃいものは買ってましたが。。。うーん、コンビニ恐るべし!

何はともあれ無事に終了! 普段は、学校・バイトと家の往復のみの私にとっては、ドライバーが毎回違う人だったので、変化に富んでて面白かったです。

私って?

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最近、とんでもなく自信喪失気味。なぜだろう?

何が真実なのか分からない。
人の顔色が気になる。
自分の弱さが露呈する。

「こうだ」と言い切れる信念も欠落してるように思う。

ちょっとヤバイ状態かなぁ。

打開策はどこにあるのかなぁ。

ひたすら自分をみつめるしかないのかなぁ。

今、読んでて痛いところをつかれてるのが、
井上ひさし・樋口陽一の『「日本国憲法」を読み直す』。


中学だったか高校だったかの時に読んでた
『シンデレラ・コンプレックス』もまた思い出した。
今度引っ張り出してこよう。

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