甘いと言われても

戦争には反対です。
武力行使に何の意味も見いだすことができません。

現実を見ることのできない甘ちゃんと言われようとも、愛する人や家族がテロの犠牲になった人のことを思いやることもできな欠陥人間と思われようとも、超おキラクな国にいて、自分の家族や愛する人を殺された経験がないからだと言われようとも、自分がテロなどの犠牲になり死に直面することになろうとも、私は断固として武力行使に反対します。

相手がどんなに大悪人であっても、自分の愛する人を殺されても、法にふれることのない殺人だといっても、殺人は殺人。ましてや、武力行使、戦争という形をとれば、どんなに避けようとしても、一般市民の生命を脅かす危険性を完全に取り除くことはできないのです。

逃れたくても、その土地から逃れられない人もいる。大悪人と呼ばれる人を抱えることを良しとはしなくても、その政治や政策にノーと言えない人もいる。自分のアイデンティティの崩壊よりも、生活の基盤を失うことをおそれる人もいる。そりゃそうです。まともに生活できなくなったら、アイデンティティがどうのなんて言ってられません。もちろん、その中でもアイデンティティを保ち続けられる気丈な人もたくさんいるとは思うけど。

テロという形は、正しくないと思います。けれど、だからといって、その首謀者を殺しても良いと言える権利は、だれも持っていないのです。たとえ、法律が定めていようとも。

今日、今現在、米大統領の支持率が90%を越えていることを知りました。武力行使に対しても、支持率が80%を越えていると聞きました。一つの政府が政策が、ここまでの支持率をもつのは危険だと思います。ナショナリズムのオーバーヒートは弊害をもたらすことも私たちは知っているハズです。ノーを唱える人が人として間違っているように感じられ、ALL OR NOTHINGの極限状態を作り上げてしまいます。つまり、戦争・武力行使に反対する人、米大統領に反対の声を上げる人が、テロリストと同じく、抹殺されるべき人とみなされてしまう恐れがあるのです。

テレビのインタビューに、NYに住む日本人が答えていました。
「アメリカは、戦場になった経験がないため、戦争の認識がきちんとできていない。戦場となることがどういうことかを、もっと考えてほしい」

現代日本に住む私も、戦場を実際に経験したことはありません。けれど、想像することはできます。いろいろな資料から、追体験することができます。それで思うのです。人はどんなことがあろうとも、人を殺して良いという理由をもたない。戦争は、武力行使は繰り返してはならないと。

:::::: hotei.comのHEAVENに書き込んだものに一部付け足し転載 ::::::