今年は本当に夏が短かった、、、。
でも、引っ越しをして、ちょっと高台みたいなところに住むようになったのも関係してるのかもしれない。きっと、平均気温が、以前に住んでいたところよりも低い。
庭の野菜やハーブたちは、気温が低くなった上に、日照時間まで短くなり、ちとかわいそう。ピーマンやバジルは、鉢が小さいので、南側へ移動。ほうれん草やサラダ菜たちは、涼しい方が快適なので、今後に期待。
最近は、死刑関連の記事を読む機会があって、死刑についてまたちょっと考える。日本の裁判員制度は、死刑あるいは無期懲役・禁固に相当する罪を犯した事件に関してのみ、裁判員制度が適用される。ということは、裁判員制度の対象となる事件数は少ないかも知れないが、裁判員に選出された人への精神的負担は大きい。
読んだ記事は、アメリカの死刑求刑裁判において活躍する情状酌量専門弁護士の活動についてだったが、なかなか興味深い。陪審員が量刑の判定をするにあたって、凶悪犯罪を犯した人に対し、情けをかけて、死刑以外の刑を選択することは、何ら間違ったことではない。そう選択する理由を、他人に分かってもらえなくてもよい。説明できなくてもよい。理由なんてなくたってよい。
私は陪審員にも裁判員にも選出されたことはないが、この言葉は覚えておこうと思う。
昨日は9・11。10年の節目ということもあってか、ラジオもテレビもその話題でもちきり。私はというと、その後のアメリカ、その後の日本を含む西側諸国の反応を思い、単純には9・11の犠牲者に同情できなくなる。ちなみに私の周りも変わった。私も変わった。柔軟でありたいと思っていた頃だが、ある一点に関してだけは、かたくなで居続けなければと思った。
戦争には反対だとか、死刑には反対だとかを口にしても、その理由をうまく言葉にすることができない。誰かに反論されると、言い返せない。でも、だからといって、規模がどうであれ、大義名分があろうがあるまいが、人が人を殺めることは間違っている。この点は譲らない。うまく説明できなくても、黙ったりはしない。
なんてことを、誰かに問われたわけでもないのに、ぐだぐだと考えてしまうのは、やっぱり秋だからなんだろうか、、、。
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