「連れて行きたい」
と言われるのと
「一緒に行きたい」
と言われるのとはずいぶん違います。
二人でどこかへ行くというのは同じでも、気持ち含む行為全体が大きく違う。
連れて行かれるのはワタシは嫌い。「連れてって!」と思ってる時は別ですけど。
言葉と思考の関係は、言葉が思考を型どることがある一方、言葉にならない思考もあったりして、どっちが先とも簡単には言えなかったりしますが、この2つのフレーズの違いは、思考を反映した違いなんでしょうねえ。
そして、昔、勉強したスピーチ・アクトを思い出したり。
サピア/ウォーフとか。池上嘉彦先生とか。
■無題
昔聞いた話では英語にはたとえば「なつかしい」にあたる言葉がないんだとか。
言葉を知っていることで自分の感情がああ、そういうことか、と認識できたりしますよね。
読書の効用もそのへんにあるのかあんと思います。
感情に名前をつけられるというか。
■Re: nobkさん
ドイツ語でもないかも。似たような表現はあるけど、ドンピシャじゃないみたい。
そんな話の延長上(?)に、言語が思考を決定している、といった議論があって、それも一理どころか、大いにあるなあと思うけれども、でも思考の全てを言葉で説明仕切れる物でもないし、言葉に頼らない感情もあるような気がします。
なんてことを、学生時代に延々と考えてました。
■ほほう。
確かに、言われてみると違いがわかりますねぇ。日本語は難しいなぁ。
■無題
連いて行きたいと思っていても、「連いて来い」と言われたい。それを、男らしさと思うのは、やっぱ年かな?
■Re: 伸ちゃんとっちゃんさん
>伸ちゃん
日本語に限らず、言葉ってココロが現れるんじゃないかなーと思うの。でも、うまく言えないときだってあるけど。
>とっちゃんさん
「ついて来い」って言わせてあげられる女性はエライ!
私もどっちかっていうと「ついて行きたい」タイプなんですけど、そのはずなんですけど(笑)、ついて行きたい!って思わせてくれる殿方がいなくって困りますワ。