先日書いた『家裁の人』の続きをどうしても読みたくて、でも本屋や古本屋巡りをする時間が惜しくて、結局また使ってしまったAmazon、、、。私のアマゾン依存度はかなり高いです。あんまりよくないのかもなあと思いつつ、、、つい。(「よくない」の根拠は全くといっていいほどありませんが、、、なんとなく。感覚的には、少なくとも「エコ違反」かな。)
といっても、新品はなかったので、マーケットプレイスにて。
いえ、もともと新品で探してたわけでもないので。
以下、『家裁の人』とは直接関連はありませんが、、、。
友人と話したり、nobk さんやくずはさんのブログを読んでいて、最近ハタと気がついたこと。
私は相当冷たい人間です。
「冷たい」というと語弊があるかなあ。
私でない人、の、痛みや苦しみを想像する力が弱い。
「弱い」なんて、それこそ弱い言い方かも。
まったくもって欠如。きっと感受性ゼロなんじゃないかな。
これは、かなりの大きな発見でした。
これまでも、うすうす気づいてはいたし、そう口にしたこともあったけど、最近は心からそう思う。
ある意味ショック。
でも、そうすると合点がいくことがいろいろありすぎです。
だからといって、自分の言動を全て正当化できるわけではなく、いえ、むしろ、過去に行った悪行の数々を思い出し、冷や汗をかいたりしているわけで。
でも、今ふりかえると我ながらなぜあそこまで、と思ってしまうような自分の言動に説明がつくというのは、万年自分探しをしているワタシにとっては進歩(と言っていいのかわかりませんが)でもあるわけで。
そして、そんな言動をとった結果の、今、ここ、にいる、ワタシ。
結局、やっぱり、「自分」。
自分の言動は、巡り巡って自分に還ってくる。
読んでる人には、なんのことやらさっぱり分からない文章になりつつありますね。
ちょっと、言葉がまとまってないのですが、この状況で取りあえず書き留めておきたくて。
そうそう、改めて自覚したのは、ワタシはやっぱり自分のことしか見ていないし考えていない。自分自身の感覚には相当敏感で、その感覚にかなり忠実に生きているように思います。
■無題
人の気持ちや痛み、苦しみ、喜びだってきっと、わからないものだから、わかった気になっていろいろ言うよりも、「わからない自覚」を持つことのほうが大切なこと、いや大切というより本当のこと、かなあと思います。
アマゾン、私もよくないかなあと思いながら使ってます。脱アマゾンしようとして近所の書店に注文しても、一ヶ月待って結局「入りません」ってなるから!本の流通システムがそうなってるんでしょうね、でも定価を守るためには仕方ないシステムなのかな。
■無題
.... なるほど。
自分自身という意識を、自分だけの範囲にとどめることなくどこまで拡大して考え行動できるか、それが人として成長するということのような気がします。そのためには自己の内面にこだわり自己を深めていくということも同時に必要なことなのでしょう。グローバルになるにはローカルを追求することが重要というのと根は同じかもしれません。逆に、意識が個人の範囲を超えない場合の自己愛は、ひょっとすると自分を大切にしているつもりで本当は自分の真実に目を向けていないのかもしれません。
これは私自身への戒めです。
■わからないから
nobkさん>
分かりたいなあと思ったり、逆に分からないのはなんでかなあと考えたりするのかなあと思っています。そして、開き直ってみたり、開き直れずグルグル悩んでみたりしています。
そうそう、アマゾンの労働問題の話はちょっと小耳に挟んだことがあるけど、それ以上のことはよく知らなくて。でも、本屋さんに頼むと、確かにものすごく時間がかかっちゃうのよね~~~。ドイツの本屋さんで、超快適お取り寄せ生活を送ってたものだから、余計に不便に感じてしまうのかも。くすん。
■う~~ん??
ふゆさん>
すみません。せっかく書いて頂きましたが、言わんとしていることがよく分からない私です。でも、そもそも私のエントリー自体が意味不明だと思うので、仕方ないなあと思ってます。