他人と知り合うこと

このことの大切さを身にしみて感じた3日間でした。単なる単発のバイトだったのだけど。どんなバイトだったかはOEKOBUCHの日記にちょっと書いたので、ここでは省略。

普段、家→学校・バイト→家に終始している毎日では、おのずと出会う人の数も限られてきます。というか、もう「新たな」人に出会う機会は、ほぼないと言っていい。

もちろん、周りには私の大好きな人たちがいて、いろんな話だってできるし、それはそれでもちろん楽しくていいのだけど、でも最近、いろんなことに参り気味で、ぐるぐる同じところをまわって、なんだか自滅していた気がします。自信喪失っていうのも、なんだか気分的に病んでたせいかな?

いつもなら、ホントはあんまりしょっちゅう新しい人に出会って気を遣う(?)のは、気疲れが多くて得意じゃないのだけど、今回はホントに行き詰まってたせいか、トータルで6日間、6人の人に会って話すことができて、気持ちのリフレッシュになりました! バイトの話を持ってきてくれた方に感謝!

で、リフレッシュしたところで、またまたテロ&軍事報復のことにも戻ります。

改めて思ったこと。
私はまだ、エラソーに何かをどうこう言えるような立場にありません。いや、そんなこというと、誰だってそんな立場にないよ、といわれるかもしれないけど。「立場」というか、私が思うのは、私は自分の腹がちゃんと決まってない、ということ。もちろん、「軍事報復、武力には絶対反対」という腹は、揺るぎないものにはなっています。でも、報復賛成を唱える人には、まだどうこう言えない。何にも言えない。逆に、同じように軍事報復反対と思っている人が周りにいても、署名をお願いしたり、デモに参加しようと言ったりするのにも気が引ける。といって、自分はアクション起こさないという意味ではありません。私ができないのは、他人に、特に周りにいる近しい人に、積極的に呼びかけることができないこと。。。 どうも、ここが私の病巣のようです。なんで積極的に呼びかけることができないのか? 同じように平和を願う気持ちをもっていて、自分と仲の良い人なら、さっさとやれるはずなのでは? 夏に揉めたことがトラウマになってるのかもしれません。そんな大袈裟ではなく、単に弱い人間だからかもしれません。とにかく、ここを乗り越えなければ、私はこれ以上前へは進めないのなだなぁということを、今、実感しています。

で、というかむしろ、だからこそオベンキョ続けます。情報源が偏っているかもしれないけど、あちこちに手を広げすぎても私の許容量を超えるので、偏っているかも?と思いつつも、いくつかの掲示板を覗くことにとどめておこうと思います。偏ってるかも?と思い続ける気持ちは忘れないようにして。

これからは、そのゲットした情報をもとに、私がどう思うのかも書いていきたいと思いマス☆