『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』

ぐんぐん寒くなってきて、おフトンから出るのがだんだん億劫になってきましたが、早く目覚めた日やなかなか寝付けない日、フトンにくるまったまま本やマンガを読む時間というのは至福のひととき。難点は、そうしているとそのうち眠くなって、夜ならまあいいのですが、朝だと二度寝しちゃうということでしょうか。


森達也『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』

ここ数日、身辺バタバタしたけれど、意外と時間はあったので、移動中やフトンの中で読んでいたのが、先日もちょこっと書いた、森達也さんの『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい 』。自分の本だと、忘れたくない大事な部分で、ページの端を折り曲げたり赤線引いたりするようにしていますが、この本、かなりの部分を折り曲げたり、赤線をひきました。


正直、軽い読み物ではないし、読んでいて辛くなる内容が多いのだけど、目を逸らすわけにはいかない現実をつきつけられます。それも、現実世界がどう、というレベルだけでなく、「私」という個に対してつきつけられる現実。


危険なのは総理大臣でもないし、東京都知事でもましてや「作る会」でもない。ファナティックな輩などいつの時代にもいた。彼らを選択し支持しているのは「僕ら」なのだ。明るくしなやかなファシズムが、少しずつ濃密になりながらこの国を覆ってゆく。そしてこれは、どうやら僕らが望んだ形なのだ。』(第3章「かくも完璧な世界」冒頭コラム『戦後日本よ、おまえは間違っていなかったはずだ』より。)


これが現実。

外部に要因を見つけることなど簡単だけど、実は本当の相手は自分の中にいる。こんな恐ろしい現実を、筆者は容赦なく繰り返し言うのです。


そして私は、というと、この現実を噛みしめ、踏みしめ、自分の足で立ちたい、たとえ独りであっても恐れない自分でありたいと思うけれども、果たしてどこまでできるのか。どこまでできるようになるのだろうか。