主語は「わたしたち」。

結局タイヤも換えずに、ギリギリまでフトンにもぐり込んでねばっていたワタシですが、九条の会・石川ネットの設立1周年集会に行ってきました。残念ながら一日通しではいられなかったけど、昼の部だけでも改めてハッとさせられることがいっぱいで。


今さらながら再確認したこと。


「憲法」は、国が、政府が、勝手気ままなことをしないように、「わたしたち」が国や政府をしばるための道具。


「法律」は、国が、政府が、わたしたちをしばるための道具。


井上ひさし氏の言葉を借りれば、
「憲法」は、主権者である国民が、時の政府に対して発する命令。
「法律」は、時の政府が国民に対して発する命令。


国民主権、と、コトバでは頭の中にあっても、その意味がどんなことなのか、実感としてなかったことが分かりました。こんなに大事なことが、実感としてなく、すっぽり抜け落ちているなんて。



そして、もう一つ大切なこと。

憲法は「理想」だということ。

わたしたち国民が掲げる、崇高な理想。


理想にむかって、人は努力していくものなのです。だから、憲法が現実とそぐわないから変える、っていう論理はちっとも成り立たない。


なのに、そんな風に言われると、「そうなのかなあ、、、」なんて不安になってしまったり。無知というのは本当に恐ろしい。そこにつけこんでくる政治家も政治家ですが、無知でいることに甘んじている自分も結局は同罪なのだと思い知らされた一日。


そして、ものすごくドキッとしたのは、「9条は、国際的な形で日本の戦争責任を表明している」というコトバ。こんなことは考えてもみなかった。けれど、ということは、わたしたちは絶対に、現憲法を変えてはいけないし、放棄してはいけない。



重かったのは、映画の中に出てきた戦争体験者の方の言葉。戦争、ソ連抑留、戦犯という体験を経て出てきた言葉は、「本当の愛国精神は、戦争をなくすこと。理屈じゃなくて道理。理屈ではない。」


「理屈じゃない」という言葉がズッシリと響いてきて、、、。





、、、全く整理されていなくて箇条書きになってしまいましたが。

知らなかったじゃ済まされない。今後来るその「時」に後悔はしたくないし、日本に生きる「私」自身とかかわることだから、重い話も難しい話もあるし、つらい状況だなあと思うけれども、やっぱり目をつぶってるわけにはいかないと思ったのでした。まとまらないけど、まとまらないのが本当なのかも。少なくとも現時点の私では。