最近は、昔と比べると、ワレナガラ、ダイブ、マルクナッタンジャナイノ?と思ったりもしますが、元来両極端な性格の私。
というわけで、ブログも思ったときに一気にかかないと、どうも忘れてしまいそうなので、取り急ぎ書き留めておこうと思います。
先日の休みのときにイッキ読みしたのが、まず、"Die Physiker"。
今、通っているドイツ語クラスでちょっとずつ読んでいる戯曲。私たちが読んでいるのは1980年に発表された新装版ですが、原版はすでに1959年に発表され、繰り返し上演されているお芝居のようです。
実は、子供の本じゃないドイツ語の本(笑)を、原文で最後まで読み通したのは、これが初めてかも。
参考書や文法書の類は、ちょっとオタク入ってるので、原文で最初から最後まで読み通してましたが。笑。
話を"Die Physiker"に戻します。
戯曲で会話形式だから、ザザザッと読める、というのもありますが、おもしろくて続きが気になる、というのも、読み通すための重要なポイントですねえ。
では、全部ちゃんと分かったのか?というと、微妙な差異をきっちり押さえていかないと、真の面白味がわからない話の構造になっているので、それはこれから辞書を片手に読んでいきます。ちょうど、レッスンでも読み進んでいくことですし。
そして、この本を読み終えたあとにイッキ読みしたのは、前々からずっと読みたかった、姜先生の『在日』。
私はどうも、エッセイや自伝みたいなものが昔から好きで、生きている生身の「人間」が見えるとおもしろくて仕方がないみたい。だから、小説でも、自伝的な要素が入ってるタイプのものを好んで読んでしまいます。
『在日』は、同じく姜先生の『在日 ふたつの「祖国」への思い』とは違って、自伝なのでスラスラあっという間に読めてしまいました。後者はまだ途中。最初、こっちから読み始めて、挫折気味になり、自伝の方を先に読まねばダメだ!と思ったのでした。
でも、『在日 ふたつの~~』へ入る前に、昔買って本棚におきっぱなしだった『在日韓国・朝鮮人』(福岡安則・中公新書)という本が読みかけだったことを思い出し、まずこっちを読むことに。
なんで「在日」にこんなにひっかかってるのかというと、根拠はそんなになくって、姜先生と森達也氏の対談本『戦争の世紀を超えて』を読んでから、姜先生の本、そして姜先生のことを書いた本を読みたいなあと思ったというだけなのでした。
かっこいいよねー。姜先生。
なんて言い方すると、単なるミーハーに聞こえてしまうかもしれないですけど。(汗)
ああ、そうそう、姜先生はうちの母と同じ歳だということも判明。
それが、ある意味ショックでもあり、母と同じ時代を、かたや「在日」として生き、今も生き、その上での各種発言である、ということを考えると、、、なんだか落ち着かないというか、私はこんなんでいいのだろうか?(いや、だめじゃん!!!)という気になってきたり。
そうこうしている間に、ピース・ウォーク も近づいてきたし。
とりとめなくなってきたので、今日はとりあえずこの辺で。