「負け犬」は私にとっては褒め言葉かも、と思う今日このごろ。
最初、「負け犬」なる言葉を聞いたとき、あんまりいい気がしなかった。例の本(『負け犬の遠吠え』)は読んでないけど、言葉だけはずいぶん飛び回ってましたし。(今はもう下火?) その頃かろうじて20代だったけど、負け犬と呼ばれておかしくない状況。しかも気分はすでに30歳だったので、すでに負け犬かー、みたいな。
友人にオモシロイからやってみな!と勧められた(?)Yahoo!の「負け犬度チェック」では、30目前にして負け犬度95%。(ちなみにその友人(同じ負け犬世代)はかなり低かったらしい。)そして「あなたはあきらめてませんか? このままでは……(云々)」というアドバイス。「余計なお世話じゃ!」と思いつつ、でも確かに「負け犬街道まっしぐら!」の生活はしてるよね、、、と。
、、、でも、「負け犬」いーじゃん?
『30代・独身・子ナシ。』
うわー、楽しいことばっかりじゃん。
やりたいこと、やりたい放題!
どこでも遊びに行けるよ?
(そして、誕生日にメッセージをくれた方々に、同じコト言ってヒンシュクを買う、、、。)
そのうえ、パラサイト。
(これはあんまり褒められたことじゃないか。いや、でも、昔と違って、覚悟はある程度できてるんですけどね。独り暮らしの。)
、、、と、あんまり「負け犬」という言葉を気にしてない、いや、むしろ楽しんでいる(喜んでいる?)自分に気がつきました。30代って、なんだかワクワクしてたんですよね。ここ数年。きっと周りにステキな30代が多いからだと思うのですが。(自分もそうなるとは限らないのに。しかも大半は既婚者。<苦笑) そして、説明するのに手っ取り早いから「楽しく負け犬やってまーす」てな具合です。
それより私が気になることは、あまり30歳に見えない、ということ。中学や高校のときはハタチくらいと言われることがよくあったのに、ハタチを過ぎたあたりから、だんだんと逆転、、、。
一般に、「若く見られる」方がいいとされているかもしれないけど、私の場合はちょっと違う。やっぱり、オツムの中身が軽くて、知識が薄っぺらいことが、顔にも出ちゃうのよねー、と、悲しくなることしばし。「私はいつも年相応に見られる!」と言う友人をうらやましく思うのでした。
■なるほどぉ。
そういう理由だったんですね。
まぁ、でも決しておつむが軽いとか、知識が薄っぺらいなどとは思ってませんし、それは顔にも出ていませんよ。
私が若いと感じたのはきっと、そうやって今という時間を楽しんでいるからいきいきしててそういう風に見えたんですよ。見た目にも実際小じわと見えないしね。
ちょっと話は違うけど、ある人から褒められたら、けなされたと思えといわれたことがありますよ。
褒められて満足すると自分の成長が止まってしまうから。という事みたいです。
年齢に負け犬は関係ないですね。自分の人生いかに楽しみいかに全うするか、それをやらない人が負け犬なんだと思いますね。
どれが、勝ち組なのかはわかりませんが、出来る事をできる限りやっているうちは、負け犬ではないと思う伸ちゃんでした!
■他人(ひと)は他人 自分は自分
kanakitaさん 元気だね!
あなたらしく生きればいい。
それでいいと思います。
人間は30過ぎてからが面白い!
40過ぎるともっと面白く、
50過ぎるとさらに....!
私が尊敬する坂本龍馬曰く、
「他人は私のことをいろいろと批評するけれどそんなことはどうでもいい。私のことは私だけが知っている」という言葉を残しました。
その通りだと思います。
あなたらしく、あなたが思う、世界のためにあなたができることをやって、あなた自身がが自分を認めることができればいいのです。
■Re:なるほどぉ。
フォローありがとうございます。(笑)
「勝ち組」とか「負け組」とかは、なんだかついていくのがバカバカしくってあんまり考えたことないのですが、今、30代・未婚・子ナシの女性に言われる「負け犬」ってコトバはなぜか面白いなぁと。生物学的には確かに負けてるし。子供産むなら、早く産んどかないとしんどいかもよー?って。(笑)
■Re: 他人(ひと)は他人 自分は自分
伸ちゃんのコメントに返信書いてる間にコメントが。ありがとうございます。
>「私のことは私だけが知っている」
うわー、その通りですね。
でも、自分のこと分からなくなってぐるぐる落ち込むことも多いのですが、またそれも楽しく思えてる私はちょっと自虐的かも。(笑)