最初、このキャンペーン(「ほっとけない世界のまずしさキャンペーン 」)を知ったとき、有名人も巻き込んで、世界同時キャンペーン、ということで、おっ、すごいな!と単純に思った。でもなぁ、何かひっかかるなぁと、、、。すぐに飛びつけない何か。何となく薄っぺらく感じたのか、ナカタが目立ったからヤだったのか。(何故かあんまり好きじゃないんだよなぁ~中田選手。)
そして、買わないでいるうちに、参加しているMLでいろんな意見が飛び交い、私がなんとなくひっかかってしまった原因が少しだけ分かったような気がした。
「ほっとけない」というコトバが好きじゃない。
なーんだか上から見下ろしているような。
「ほっとけない」と言う私たちが優位に立ってるような。
もちろん、仕掛人の皆さんは、いろいろ考え、議論を重ねた上での「ほっとけない」だとは思うけれども。
だけど、「ほっとけない」なんて言っちゃうのは、持てる者の傲りのような気が、、、。
ひねくれ者なので、素直に受け取らなくてごめんなさい、ですが。
あと気になるのは、「流行ってるから」「オシャレだから」とかの理由で、本来の意味も考えずに買っちゃう人が多分たくさんいる、ってことです。
、、、シリコンだし、白いし、汚れるし、ゴミが増えるじゃないの!!!(怒)
チャリティだと思ってる人も多いようだし、まがいものも出てきてるみたいだし、コンビニなんかで買えちゃうらしいし、なんだかなー、、、と疑問です。
というわけで、ピープル・ツリー/グローバル・ヴィレッジのホワイトバンド
を購入するに至ったのでした。
でもきっと、これをきっかけに「貧困」とか世界のことを本気で考え出す人が出てくるかもしれない。そう思うと、ちょっとは救いになるかな、と思います。(エラソー。苦笑。)
■数ヶ月前より
ホワイトバンドの存在は知っています。しかし、kanakitaさん同様に引っかかりを感じています。
っていうか、俺はkanakitaさん以上にこういう活動に対して、二の足を踏む人なのです。
相互扶助の精神は素晴らしいものだと思います。誰かの助けを得なければ病気を治すことが出来ないとかであれば、力を貸したい気もします。(自分自身にたいした力はありませんが)
でも、生活って誰かの援助でしてる事によって、その人の人生をダメにはしないのでしょうか?自分たちが何もしなくても誰かが援助してくれるって思っちゃわないでしょうか?
貧粗な考え方でスミマセン。
困っている人のために、何かをする行動自体素晴らしい事だと思います。これは心から思います。でもどこまで行動をしたら、その困っている人のためになるのか、どこ以上行動をしてしまうと、その困っている人のためにならないのか、これは一人一人違うと思うし、そんな部分で悩みます。
■きっかけ
kanakitaさん こんばんは。
>>これをきっかけに「貧困」とか世界のことを本気で考え出す人が出てくるかもしれない。
私がこんなことを考えだしたのは大学生の時分でした。その1年前、予備校に通っていた私は、河合塾大阪校で、牧野先生という現国の先生と出会いました。当時の河合塾(特に名古屋校)はめちゃくちゃ変わったところで、エレベータの配線をいじくって6階を押したら3階に停まるよう設定変更する輩もいれば、名物講師の授業を屋上から吊るしたザイルにつかまって教室外から受講する生徒もいれば、教師が思い切り黒板にチョークを押し付けた時に爆発するようチョークの先に火薬を仕込む生徒がいたりなど、才能豊かな異端児生徒が多かったのですが、その伝統を創っていたのが、実は牧野先生をはじめとする講師陣だったのです。
彼は、オリンピック強化選手に選ばれた友人が怪我がもとで選手生命を絶たれその後の道のりが決して幸福ではなかったことに憤り、当時、名古屋オリンピックの誘致活動が盛んだったころに名古屋市役所でハンストをやったという経歴の持ち主でした。その後、就職難から予備校教師の道を選びましたが、その博学から、当時の共通一次(今のセンター試験)の問題を的中させる等、現国教師としての知識は一流のものを持っていました。
私はこの牧野先生に学びながら、彼に魅了されていきました。この先生のように幅の広い人間になりたいと思いました。
春が来て、予備校も修了の時期を迎え、最終講義の日がやってきました。その時に、牧野先生は私たちに、励ましの言葉と一冊の手製の小冊子をくださいました。
「目ガツブレルマデ本ヲ読モウ」と題した小冊子、そこには牧野先生が大学生の時分に「一日一冊本を読もう」と志を立てられて読破された本のタイトルと簡単な紹介が綴られていました。
私はその時に、「よし!このリストの本をかたっぱしから読んでみよう。いつしか牧野先生に追いつけるかもしれない」、そう思いました。そして、大学に入学後、本を読みふける習慣を自分に課しました。
■きっかけ(続き)
その時に、リストにあったいろいろな「ノンフィクション」「ルポルタージュ」を読みました。それが、私が高校生の時分まで知らなかった世界の「貧困」や「第三世界」とのつながりの初めでした。
人は何がきっかけになるかは人それぞれですが、一度出会いがあれば、それはその人の人生に多かれ少なかれ影響を与えます。
このホワイトバンドも、賛否両論ありますが、きっかけづくりにはなるでしょう。
あとは、行動する人、kanakitaさんが自分の気持ちを自分の体験を通して語って行くことだと思います。あなたを通じて、人は変わっていきます。
そんな営みが全世界各地でひとつひとつはじまっている。シンクロニシティ それを信じましょう。
■Re: 数ヶ月前より
伸ちゃん、いつもコメントありがとう。
コメントもらって、いっつも色々考えます。全然貧粗なんかじゃありません。言葉の使い方も考えます。どうやったら伝わるんだろう、って。今までその辺をサボってきた分、とっても難しいです。他人に伝えるために「書く」っていうことが。
ホワイトバンドは、このバンドを買うお金が直接アフリカやアジアの貧困の地域に行くわけではありません。貧困撲滅のキャンペーンのプロモーションや、貧困撲滅を推進するNGOの活動に使われるとのこと。だから、お金が直接届く、チャリティやキャンペーンではないわけです。(詳しくは、http://www.hottokenai.jp/のmore FAQs参照。)
誰かの援助で生活をする→何もしなくても生活できる っていうふうになっちゃう人は確かにいると思います。だけど、いわゆる途上国の人たちのことを思うと、この人々を飢餓で苦しめ、貧困の悪循環の中に追いやってしまった原因には、私たち「北側」の人間の存在があると思います。たとえば、化石燃料を圧倒的に使っているのは北側の人間なのに、その影響を受けるのは自然条件の厳しい極や赤道付近に住む人々。だから私がこの現実に対して思うのは、「相互扶助」なのではなく、今まで私が何気なく送っている生活の中で奪いつづけてきた(今も奪い続けている)ものを返さなければ、ということ。これは、自然環境に対しても思うことです。
、、、だけど、現実には常にこんなことを考えているわけではないし、奪い続けているものを返しているかというと、それも疑問。考えないようにすることはカンタンだけど、そんな自分とちゃんと折り合いつけられるほど器用でもないので、ことある毎に考えてーという具合。
で、ホワイトバンドの話に戻ると、NGOの人たちにもがんばって欲しいし、もしかしたらそれが一番の早道なのかもしれないけれど、あの、シリコンのバンドで「連帯感」だけに酔うのはいやだったのです。そういう人たちを見るのもちょっと悲しい。だけど、これが「きっかけ」かもしれないから、全否定はしていないつもりです。
■Re: きっかけ
ふゆさん、コメントいつもありがとうございます。
河合塾の牧野先生、私は浪人できる環境にはなかったけど、噂は前にも聞いたことがありましたし、ふゆさんのコメントを読んでいても、なんと言ったらいいのだろう、面白い、、、うーん、魅力的、、、うーん、、、いい形容の仕方が思い浮かばないのですが、こんな先生に習えるものなら、浪人してみたかったかも、という気分です。(ただし、18や19の私が理解できただろうかというと、それは疑問。今だからこういう風に思うけれども。)
「きっかけ」で自分のことを考えてみると、なんだかどこが最初かもよく分からないのですが、でもとにかく「戦争がダメ」というのはずっと昔から刷り込まれていましたし、(逆に大人になってビックリしたのは、アメリカがアフガン攻撃を始めたとき、「これは仕方ない」とか言う人が多かったこと。同時多発テロがあまりに衝撃的だったからだとは思いますが、「え?みんなどうしたの?武力行使なんて、何がどう転んでもヒトとしてやっちゃいけないことじゃないの?」と、、、。まあ、心が弱ってたからでもありますが、いろいろ叩かれてツラかったー、、、。)、環境問題を知るにつれて、貧困や飢餓、そして戦争はすべてが複雑に絡み合っていて、どれか一つに対して大声をあげていても意味がない(「ない」ことはないけど、一緒にやった方がもっといい)と思うようになってきたり、でもやっぱり一人じゃなくて一緒に考えたり行動したりできる人とつながることができた、ってのは大きかった気がします。
初めて参加したピース・ウォークがとてもいいウォークだった、というのもありますし、ふっと気づくと、そういう活動をするには実はものすごく恵まれた環境にいる、ってことも再認識しましたし(逆に、名前出しちゃいけないだろうな、って環境にいたこともありましたが、、、<自主規制・苦笑)、ああ、ほんと、今改めて考えると、いっろーーーーんな人との出会いがあります。
で、このブログも私にとってはまた一つのきっかけなんですね。
あれ?全然違う話になっちゃった。
もう、頭の中、あっちへいったりこっちへいったりで大変です。笑。